NPO法人滋賀県ウオーキング協会【イベント報告】
 
 
 



保津峡から嵯峨野を巡る
6月8日(日) 曇り後晴れ  151名
保津峡駅~六丁峠~化野念仏寺~二尊院~清凉寺(昼食)~大覚寺~広沢池~嵯峨嵐山駅

 昨年は道路工事で一部通行止めになり、実施出来なかったので、今回はそのリベンジです。電車が到着する度に保津峡駅から予想以上に多くの参加のみなさんが降り、集まっていただきました。新緑の中、受付です。
 小網会長のあいさつとコース説明に続き、準備体操と記念撮影をして出発しました。なだらかな坂を上って行くと、眼下にさっき降り立った保津峡駅が見えます。時折、上から降りてくる車や自転車に注意しながら歩きました。
 トンネルをくぐり上り下りを繰り返し歩き、ヘアピンカーブにさしかかりました。最初の水分補給を兼ねた休憩です。峠でしばらく休憩し、後は下り坂です。空気がひんやりと感じられます。路傍にはシダが群生し、木が生い茂る緑の中を鳥の鳴き声を聞きながら歩きます。やがて、朱色の鳥居が見えてきました。愛宕神社です。化野念仏寺の前には多くの外国の方がいました。嵯峨鳥居本は京都の伝統的建造物保存地区です。白壁の家屋や古民家カフェ、鮎の宿、それに外国人

  が好む土産物店が並んでいます。
 嵐山方面に歩を進めます。二尊院前を過ぎ清凉寺に11時40分頃に着きました。昼食・休憩の後、出発です。
 大覚寺を過ぎ、大沢池周辺の嵯峨野の田園風景を見ながらのウオークが続きます。周囲の山も映えて空間が広く感じられます。畑には、九条ネギや水菜、ジャガイモなどがよく育っています。児神社で休憩です。境内に石椅子がありました。これは宇多天皇の孫の大僧正の死後、広沢池に身を投げた侍児の霊を祀ったものです。大僧正が座禅を組んでいる間、その傍らで侍児が座っていたと言われています。
 道路を横断し、住宅街を歩き、13時15分頃に嵯峨嵐山駅にゴールしました。今日はアップダウンの続く坂道のウオークお疲れ様でした。
次回の例会は、6月22日(日)に「アジサイの余呉湖一周と北國街道を歩く 余呉駅~木ノ本駅12km」を余呉駅10時00分集合で実施します。
 皆様多数の参加をお待ちしています。

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受付風景  保津峡駅で


参加のみなさん


舟下りを楽しむ修学旅行生


車に気を付けて歩く


自転車とすれ違う


嵯峨鳥居本を歩く


午後の出発前のみなさん


水田と畑の中を歩く
   
準備体操


ここから上り坂が始まる


徐々に勾配がきつくなる


ヘアピンカーブで水分補給・休憩


愛宕神社の側を通る


清凉寺で昼食・休憩


嵯峨野の広大な田園風景が広がる


もうすぐ広沢池が見える

  ビューポイント 

化野念仏寺
 弘法大師・空海が創建した「五智山如来寺」が始まりと伝わる。
 五智山如来寺が建立された化野地域は、古くから死者の埋葬の地となっており、空海も自ら死者の埋葬をしたと言われており「念仏寺」となった。このことにより、化野念仏寺は浄土宗の寺院になっている。その後、浄土宗の開祖である法然上人が念仏道場とし、明治中期には化野地域に散乱・埋没していた石仏や石塔が念仏寺にまとめられるようになり、現在に至っている。
清凉寺
 嵯峨の釈迦堂の名前でも親しまれており、嵯峨野でも有数の古刹。寛平7年(895年)、源融の没後、別荘を寺としたのが創始。長和5年(1016年)に五台山清凉寺が建立された。
 本瓦葺きの2階二重門という堂々とした仁王門をくぐると正面に本堂、周囲に阿弥陀堂、多宝塔などが建つほか、嵯峨天皇の皇子・源融の墓などの石造美術品も数多く点在している。また境内の狂言堂では毎年春・秋に嵯峨大念仏狂言が演じられる。
大覚寺
 大覚寺のある場所は元々、嵯峨天皇が檀林皇后と成婚した
  時に建てた離宮があった場所。そこには嵯峨天皇と仲が良か
った弘法大師 空海も出入りしていて、空海のために嵯峨離宮の一角にお堂も作っていた。嵯峨天皇が亡くなった後、嵯峨天皇の皇女・正子内親王がお寺に改め、皇孫である恒寂入道親王を開山した。それが大覚寺。大覚寺は「大覚寺門跡」と言うが、「門跡」というのは、皇族・貴族が住職を務める住職さんのことも「門跡様」と呼ばれている。
 大覚寺は明治時代初頭まで代々皇族の方が住職を務めていた。格式の高い門跡寺院の所で嵯峨天皇はかなりの文化人
だった弘法大師 空海とも親しく、空海、橘逸勢(たちばな
のはやなり)と並んで日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人「三筆」に選ばれるほど。二人はこの離宮で親交を深め、平安文化の開花に貢献した。

名勝 大沢池

 境内の東側に広がる大沢池は平安時代、唐の洞庭湖を模して造られた日本最古の林泉式庭園である。
 嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、池畔には桜や楓が約700本程植えられており、平安時代から変わらない風光明媚な風景を楽しむことができる。
 また、日本三大名月観賞池であることから観月の名所として知られ、中秋の頃には観月の夕べが開催される。


   曽根沼公園で落羽松の呼吸根を探そう
6月1日(日)  曇り   75名
稲枝駅~びわこ湖岸緑地・曽根沼公園~荒神山公園~荒神山神社遥拝殿~河瀬駅
 
 稲枝駅西口階段を下りた所でで受付です。いつものように小網会長のあいさつに続いて、コース説明、準備体操をした後、記念撮影をして10時過ぎに出発しました。
 今回は、岐阜県から、父親に連れられて小学1年生と3歳の兄弟が参加しました。お父さんは弟のベビーカーを押しながらです。道中、参加者から声を掛けられ、楽しそうに歩いています。弟もニコニコうれしそうな表情です。
 住宅街をしばらく歩いた後は田園風景が広がっています。正面に荒神山が見えてきました。所々、黄金色の麦畑が目立ちます。これから荒神山の麓を歩きます。彦根梨を栽培しているハウスが左に見えます。
林の中をしばらく歩き、曽根沼湖岸緑地公園に着き、各々、東屋の中で昼食です。
  岐阜から参加した親子はみんなと一緒に和やかな雰囲気
の中、昼食を摂っていました。
 落羽松(ラクウショウ)の気根がニョキニョキ出ている所があります。テントを張り、キャンプを楽しむ人がありました。午後からは荒神山通りを歩いて唐崎(とうざき)神社です。階段を上り、拝殿にお詣りしました。
 最後は、荒神山神社遥拝殿を訪ねました。奥に荒神山に上る入口がありました。橋を渡って、再び田畑を見ながら河瀬駅に13時30分頃にゴールしました。
次回の例会は、6月8日(日)に「保津峡から嵯峨野を巡る 保津峡駅~嵯峨嵐山駅13km」を保津峡駅10時00分集合で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。
 
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準備体操 稲枝駅西口の広場で


田園風景を見ながら


1年生の男の子も元気に歩く


荒神山の麓を歩く


珍しい呼吸根


唐崎(とうざき)神社


階段を下りる


荒神山神社の大鳥居
   
参加のみなさん


正面に見えるのが荒神山


麦畑と荒神山


曽根沼緑地公園の中を歩く


新緑を愛でる一時


唐崎(とうざき)神社に詣る


緑の木立の中を歩く


遥拝殿に詣る

  ビューポイント 

荒神山神社
 かまどの神様。「三宝荒神」「荒神さん」と親しまれ崇められている神様は、火とかまどの神様。
 かまどとは、昔から「一軒の家」「一家・会社の経済の中心」を表し、「かまどが賑わう」と言えば「暮らしが豊かになる」「商売が繁盛する」ことを言い、「かまどを破る」と言えば「身体をつぶす」「会社を破産させる」ことを言う。
 また、分家することを「かまど分け」とも言い、かまど(台所)とは家の暮らしや会社の経済を表す象徴的なもの。
 古来より火は、神聖なものとして扱われていて、寒い日は暖をとることによって、一家の繁栄を願った。ご利益は、家内安全、商売繁盛、金運、厄除けなど。
  荒神山
 琵琶湖を西に望む、標高284mの山。
 荒神山は家族連れやカップルはもちろん、地元の小学校の遠足などでも使われる憩いの場となっている。
 山頂にある荒神山神社は奈良時代・東大寺の僧侶が荒神山に登った時、霊秀を感じて三宝荒神を祀ったのが始まり。三宝荒神を勧請して創建された時は奥山寺という寺院だったと言われる。
落羽松(ラクウショウ)
 普通の樹木は湿地だと根腐れし育たないが、ラクショウ別名で沼杉は呼吸根(気根)で呼吸ができ、湿地で育つ、湿地に適応した植物。




   比叡山年輪ウオーク
5月25日(日)  曇り時々雨   56名
   ◆往路(行き)
Aコース:生源寺~大宮谷林道~横川中堂~玉体杉~峰道広場(11km)
                
Bコース:生源寺~坂本ケーブル駅=延暦寺駅~延暦寺東塔~西塔~峰道広場(6km
◆復路(帰り)
Cコース:峰道広場~延暦寺~大宮谷林道~生源寺(11km)                                       
                 
Dコース:峰道広場~(Bコースの逆)~延暦寺駅=坂本ケーブル~生源寺(6km)             
Eコース:峰道広場解散 *バス等を利用                               

 坂本生源寺で曇り空の中、2年に1回の年輪ウオークの受付です。遠く北海道、岩手、千葉からも参加していただいています。出発式では、小網会長の挨拶に続き、JWA畑会長から「産業革命以降、人は自然に向き合う時間が少なくなり、切れ易く、短気になってきた。歩く時間も減ってきた。これからもみなさん自然を体感し歩き続けてください。」等のお話がありました。
 この後、小林住職から歓迎のお言葉をいただきました。コース説明、準備体操の後、出発です。坂本から大宮谷林道を歩いて峰道広場にゴールするコースと、坂本ケーブルで延暦寺駅まで行き、そこから歩いて峰道広場にゴールするコースの二つに分れて出発しました。
 峰道広場にゴールし、昼食を摂った後、開祖伝教大師最澄の銅像の隣にある「ウオーク祈念碑」の前でウオーキング運動の発展に尽力された先達の敬慕祭がありました。滋賀では
昨年亡くなられた中川辰夫さんの名前も刻銘されています。
   続いて、「歩者国賓年輪式」がありました。
比叡山の小森総務部長のお話を聞いた後、JWA畑会長から申し込まれた方一人一人に年輪証が授与されました。
 13時半から「比叡の大護摩」を観ることが出来ました
千日回峰行大行滿大阿闍梨を大導師に仰ぎ、世界平和・人類共生と人々の心願成就を祈願するものです。
 願いが書き記された護摩木は回峰行者により、燃え盛る炎に投じられる様は圧巻でした。
 帰路は、峰道広場から延暦寺を通り生源寺まで歩くコースと、西塔、東塔を通って延暦寺駅からケーブルを利用し、生源寺にゴールするコースに分れて出発しました。
 昨日、今日と二日続けて歩かれた方もおられます。
 お疲れ様でした。初めて滋賀に来られた方、琵琶湖一周健康ウオーキング2025も実施しています。
 今度は琵琶湖の美しさを是非体感しに来てください。
 次回お会い出来ることを役員一同楽しみにしております。
 
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生源寺で受付


参加のみなさん


比叡の大護摩


燃え盛る炎に護摩木を投げ入れる回峰行者


JWA畑会長のお話し


年輪証授与


参加のみなさん


ほら貝を吹く山伏の先導で入場


ほら貝を吹く山伏の先導で入場


護摩木を投げ入れる回峰行者


ケーブル利用して戻ってきたDコースのみなさん
   
小網会長あいさつ


準備体操


上原行照大阿闍梨による祈祷


世界平和の実現と人々の心願成就を祈祷


岡田総務部長より歓迎のお言葉


年輪証授与


琵琶湖と三上山を望む


ほら貝を吹く山伏の先導で入場


光永圓道大阿闍梨による祈祷


緑が美しい山道を生源寺まで歩く


ゴールお疲れ様

  ビューポイント

生源寺
 最澄が767年8月18日当地で生誕されたとされ、毎年「誕生会」が盛大に行われる。延暦寺の末寺。最澄の産湯に使われたという古井戸が残っている。
延暦寺
 日本仏教の母山と仰がれる比叡山延暦寺は最澄が最初に創建した天台宗の総本山。門前町坂本には里坊群をはじめ江戸時代末まで天台座主の居所であり、狩野派の障壁画や小堀遠州作の庭園で有名な滋賀院門跡がある。
玉体杉
 京都方面の見晴らしのよい場所で休憩が出来る場所。玉体とは天皇のお体のことで千日回峰行の行者はここから御所を望んで天皇の健康を祈ったと伝わる。
  脇に据えられている蓮台石に回峰行者が座って祈られる
とのこと。
比叡の大護摩
 西塔・峰道広場の伝教大師大尊像前にて千日回峰行大行滿
阿闍を導師に仰ぎ、回峰行者出仕のもと祈祷護摩供が執り行われる「比叡の大護摩」。新緑の美しい5月に皆様からの願いを護摩木に託し、大きな炎となって未来を照らす。
坂本ケーブル
 昭和2年開業の日本一長いケーブルカーで、ケーブル坂本駅とケーブル延暦寺駅を11分で結ぶ。「ケーブル坂本駅」は大正14年に建設された当時モダンな洋風建築として人気を博した。国の登録有形文化財に登録された。「ケーブル延暦寺駅」は「近畿の駅百選」に認定された。


  せっかくウオーク
5月24日(土)  雨  17名
大津駅~関蝉丸神社~長等公園~三井寺~皇子が丘公園~近江神宮~大津京駅
 
 大津駅改札を出たコンビニの前で受付です。遠く岩手や千葉から事前に申し込まれた方が6名と、当日参加の方が5名、それにスタッフが6名参加しました。コース説明、準備体操の後、記念撮影をして13時15分出発です。傘をさしたり、合羽を着用して歩きます。最初に関蝉丸神社を訪れました。ボランティアの方の説明を聞くと、クラウドファンテイングのお陰で奥の木々が伐採され、屋根もきれいに葺き替えられ、以前より明るくなったとのことです。
 踏切を越えてすぐの坂を上ります。二つのお寺がありました。晴れていたら、ここから琵琶湖が見渡せるのに残念です。坂を下り、長等公園で休憩です。所々、木々の緑が美し
  く感じます。次は、長等神社を過ぎ、三井寺で休憩です。焼き立ての釣鐘饅頭を買い求める方もおられました。
 円満院を過ぎ、坂を上り歴史博物館を訪れました。館内に入り、展示物を見学、歴史カードを貰う方もいます。坂を下り、警察学校を過ぎ、大津市役所前を通り、近江神宮に向かいました。
 階段を上がり、朱色の楼門をくぐり、拝殿に参拝される方もおられます。記念撮影をして緑の木々の中を下ります。
 京阪電車の踏切を越え、参道をしばらく歩き、大津京駅に15時35分頃に着きました。今日のせっかくウオークはずっと雨の中を歩きました。お疲れ様でした。

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大津駅改札を出たコンビニ前で受付


新しくなった関蝉丸神社


大津市街を望む


長等公園は下ってすぐ


長等神社に参拝


三尾神社の前を歩く


園城寺(三井寺)の前で


近江神宮の朱色の楼門をくぐる
   
踏切を渡って関蝉丸神社へ


近松寺の前で


長等公園へ


雨の中を長等神社へ


右は琵琶湖疏水


新緑を見ながら三井寺へ


円満院の前を歩く


記念撮影

   ビューポイント

関蝉丸神社
 
東海道、東山道が通る逢坂峠の関の鎭守・道祖神として創建されたと考えられている。上社と下社に分かれ、祭神は、上社が猿田彦命に琵琶の名手の蝉丸霊を合祀し、下社は、豊玉姫命に蝉丸霊を合祀する。琵琶の名手の蝉丸が合祀されたことにより、音曲芸道の祖神として信仰を集めることとなった。下社拝殿横の六角形の時雨灯籠は鎌倉時代の作で重要文化財。
 境内入口には紀貫之の歌で有名な関清水の石碑がある。

琵琶湖疏水
 
 京都への通船、水力発電、飲料水の供給など多様な目的で
  計画された明治期の画期的な土木工事。
 観音寺の取水口から京都蹴上までの延長11kmに及ぶ。
 工事は田辺朔郎を主任に1885年(明治18)から1890年に及んだ。現在、取水口から三井寺観音堂下までの疏水両岸には桜並木が植えられており、春にはライトアップされ、夜桜が楽しめる。
 2007年国の近代産業遺産の一つに登録された。
 令和2(2020)年6月、「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき」が日本遺産に認定された。
 大津港から蹴上までの疏水船は67年ぶりに復活した。


     大津なぎさウオーク(琵琶湖からの春風に吹かれて)
2025年5月20日(火)  晴れ 111名
大津駅~県庁東~なぎさ公園~大津港~疏水~競艇場~びわ湖大津館~二本松~大津京駅
 
 好天気に恵まれ、気持ちの良い朝を迎えました。
 大津駅北口広場では、いつものように小網会長の挨拶に続き、大津駅長さんの話を聞いた後、10回から100回完歩した方の表彰がありました。
 記念のバッジやTシャツ、ウインドブレーカーが駅長より手渡され、参加のみなさんから大きな拍手をいただきました。準備体操をし、集合写真を撮って出発です。県庁前を通り、旧東海道を歩き石場を過ぎ、大津警察署の前の県道を横断し、なぎさ公園に向かいます。
 なぎさ公園で休憩の時はミシガンが近くに見えています。
 青空に白い雲が浮かび、琵琶湖からの心地よい風を感じながら、琵琶湖ホールから市民会館そして大津港までずっと湖岸を歩きました。大津港で休憩です。
 ミシガンに乗船するために並んでいる修学旅行生の元気な
  声と若い女性スタッフの明るい声が聞こえてきます。
 浜大津から競艇場、茶が崎を過ぎ、柳が崎のびわ湖大津館で休憩です。赤や黄色、白の薔薇が咲いているのを鑑賞しました。中には、薔薇の匂いを嗅いでる人もいます。
 ここで昼食です。芝生の上で食べたり、琵琶湖を眺めながらゆっくり過ごしました。
 昼食後は、琵琶湖沿いを歩きます。釣りを楽しむ人を多く見かけました。Kz電機店の前に出ました。
 国道を渡り、ブランチ大津京の前を通り、二本松から松山町を過ぎ、大津京駅にゴールしました。
 次回、6月17日(火)の大津なぎさウオーク12kmは、大津駅から膳所駅まで歩きます。途中、丸長漬物店と新しい店「ラーゴ」に立ち寄り、由美浜から膳所駅にゴールします。
 皆様多数の参加をお待ちしています。 
 
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朝の一時 大津駅北口広場で


準備体操


なぎさ公園で休憩


木陰で一休み


大津港まで湖岸を歩く


琵琶湖文化館の前を右折し大津港へ


色々な船を見て大津港に向かう


びわ湖大津館のバラ
   
受付が終わって


参加のみなさん


水分補給をしっかり


琵琶湖からの涼風を受けて


やがて琵琶湖ホールが見えてくる


ずっとミシガンが付いてくる


大津港で休憩


柳が崎の湖岸を歩く

  ビューポイント 

びわ湖大津館
 びわ湖大津館は、琵琶湖に隣接する親水公園である柳が崎湖畔公園のメイン施設。
 昭和9年建築の旧琵琶湖ホテルを保存改修し、湖を見渡せる文化施設として平成14年に新しく誕生した。 建物は、東京歌舞伎座などの設計で名高い故岡田信一郎によるもので、「湖国の迎賓館」として、昭和天皇やヘレン・ケラー、ジョン・ウェインなどの著名人が宿泊し、滋賀県一の格式を誇っていた。
 
また、隣接するイングリッシュガーデンでは、バラをはじめとする花々が四季折々楽しむことができ、湖上をわたる爽やかな風と優しい花の香りを体一杯に感じることができる。
  ボートレースびわこ
 心地よい琵琶湖の景観と白熱した水上のバトル。
 ボートレースは、6艇のモーターボートが水上のコースを3周し、着順を争うスポーツ。最高速度が時速80kmにも達するボートが目の前を疾走する姿は大迫力!華麗な全速ターン、息もつかせぬドラマチックな展開、轟くモーターの咆哮、レーサーたちの熱き戦いはボートレースならではの魅力がある。
 琵琶湖のほとりに位置するボートレースびわこは、全国に24場あるボートレース場の中でも屈指の景観を誇り、雄大な湖面とともに近江富士や伊吹山を眺めることができる琵琶湖絶景スポットと言える。


   琵琶湖一周健康ウオーキング2025②
5月18日(日) 晴れ  171名
堅田駅~ピエリ守山港前~中州大橋~めんたいパークびわ湖~家棟川大橋~日野川大橋~岡山園地~高座橋~市立図書館~
小幡駐車場~中村町信号交差点~桜宮町信号交差点~近江八幡駅

 2025度第2回目の琵琶湖一周健康ウオーキングも多くの参加者で堅田駅裏の受付はいつも以上に長い列ができました。出発式の後、準備体操をし、集合写真を撮り、堅田駅を3班に分かれてスタートしました
ピエリ守山港まで歩き、守山駅から来られた方と合流しました。上空では、ウルトラライトプレインが旋回していました。まるで我々のウオーキングの安全を見守ってくれているかのようです。これから湖周道路をずっと歩きます。
 途中、第一なぎさ公園では、浜昼顔が咲いています。マリオットホテルの前にある自転車のモニュメント広場では大勢の人が集まっています。
 めんたいパークで昼食です。日曜日とあって家族連れで賑わっています。犬を連れた多くの人が集まってドッグランを楽しんでいます。

   多くの子どもたちがトランポリンで飛び跳ねたり、遊具で遊んだりしています。
 マイアミ浜を通り、岡山緑地公園で休憩です。
この後、白鳥川のサイクリングロードを歩きます。
 田植えを終えたばかりの青々とした水田と黄金色の麦畑が目に飛びこんできました。この後、高座橋から市立図書館を通り、小幡駐車場を過ぎ、
A班は14時35分頃に、B、C班も15時半過ぎには近江八幡駅にゴールしました。短縮コースの方は長命寺バス停まで歩いた後、路線バスで近江八幡駅にゴールしました。
 次回は、6月15日(日)に「琵琶湖一周健康ウオーキング202③近江八幡駅~能登川駅20km」を近江八幡駅9時30分集合で実施します。
 皆様多数の参加をお待ちしています。


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準備体操 堅田駅南口広場の前で


B班のみなさん


A班ピエリ守山港前通過


めんたいパークびわ湖に到着


C班のみなさん


琵琶湖沿いを歩く


B班が岡山緑地公園に到着


岡山緑地公園で休憩
   
A班のみなさん


C班のみなさん


B班ピエリ守山港前通過


昼食後の一時


アヤメ園に咲く紫のあやめ


A班は岡山緑地公園を出発


B班が岡山緑地公園を出発


高座橋から市立図書館に向かう


 ビューポイント   

 めんたいパークびわ湖
 日本唯一の明太子専門のテーマパークを運営する「かねふく(創業1971年)」は、見学ギャラリー、フードコーナー、直売店を併設した製造工場を、2009年9月に茨城県大洗町にオープンし、年間100万人を越える来場がある。
 その後、全国各地に展開し、12月10日に国内5施設目として滋賀県琵琶湖のほとりに、「めんたいパークびわ湖」をオープンした。一日中楽しめるキッズコーナー、2階からは琵琶湖と比叡山を望むサンセットテラスがあり、家族連れやカップルで賑わっている。
水茎岡山城
    城主・九里信隆が庇護して、後の将軍である足利義晴も
この城で誕生した。しかし信隆が六角高頼に謀殺され、信隆の子である九里浄椿が城主となったが、1520年(永正17年)には六角定頼の奇襲により落城した。
その後、九里氏の残党が九里三重郎を盟主に蜂起するも鎮圧され九里氏は、滅亡した。もともと湖上警備のための城だったこともあり、琵琶湖に面した浮城で、岡山一帯が万葉集にも詠まれるほどの絶景だったが、今は城跡周辺は埋め立てられており、当時の面影はない。
 遺構としては土塁や堀切を確認できる。


 びわ湖長浜ツーデーマーチ  主会場 豊公園
5月11日(日) 余呉湖35km166名・姉川国友20km352名・びわこ北10km419名 937名

 2日目も風が少々吹いた程度で歩きやすい天気になりました。余呉湖35kmコースは、余呉観光館を8時30分にスタートし、北国街道木ノ本宿や鶏足寺の近くを歩いた後、高月町を通り、小谷城跡の近くを通ります。北国脇往還も歩き、虎姫からびわ町を通って南浜に出た後は、湖岸を歩いて豊公園にゴールします。
 10kmコースは、子どもたちの参加が見られました。途中に何度か一緒になりましたが、軽やかな足の運びで、「子どもは元気やな。」の声が聞こえてきます。
 公園町の信号を横断し、市街地を歩いた後、工場街に出ます。そして、田園地帯に入りました。一面麦畑が広がり、耕運機で田おこしをしている様子も見られました。紫のアヤメやたんぽぽも咲いていて春を感じます。南浜ぶどう園の前を

 
  しばらく歩き、琵琶湖岸に出ました。南浜でチェックポイントと昼食です。湖岸に出て食べる人も見られました。食べた後は、3コースとも南浜からゴールの豊公園まで4,7kmを歩きます。景色が変わらず単調なコースで、とても長く感じました。前回は雨の中だったので苦戦しましたが、今回は良かったです。途中、バイクのツーリングやサイクリング車に何度も出会いました。
 35kmの最終ウオーカーは5時過ぎにゴールし、大きな拍手で迎えられました。どの人も長距離を歩き切った満足感と充実感が漂っていて胸が熱くなることもありました。
 全国から幅広い年齢の人が参加した2日間は、普段味わうことができない充実した日になりました。
 大会関係者の皆様、お世話になりました。

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姉川国友20kmスタート


曇り空の中を出発


工業団地付近を歩く


のどかな田園風景が広がる


南浜で昼食


サイクリング車に出会う


ゴールはすぐそこ


余呉湖35kmを完歩!お疲れ様
   
豊公園を背に出発


びわこ北10kmに参加する子どもたち


田園地帯を歩く


麦畑を見ながら歩く


琵琶湖を観ながら食事を摂る人


ゴ-ル目指してひたすら歩く


完歩できてよかった万歳!


アンカーもゴール お疲れ様
 
  ビューポイント 

小谷城
 小谷城は浅井氏の居城であり、日本五大山城のひとつに数えられる堅固な山城として知られている。織田信長に攻められ、浅井氏が滅亡した最後の城で、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い城。その後、小谷城は羽柴秀吉に与えられるが、秀吉は長浜城を新たに築いたため、小谷城は廃城となった。その際、資材の大半は長浜城築城のために使われたといわれている。現在は国の史跡に指定されており、土塁や石垣などの遺構を見ることができる。
鶏足寺
 鶏足寺(旧飯福寺)は、735年僧行基によっって開基された古寺。いったん荒廃するも799年最澄により再興。山岳仏教の聖地として威容を誇った己高山鶏足寺別院の一つ。中世には僧兵を擁するほどの大寺で、時の権力者の庇護を受け安定した寺運を続けたが、江戸幕府の終焉とともに衰微した。現在は廃寺となっており、普段は地域住民の手によって管理
   がなされている。「紅葉の名所鶏足寺」として毎年多くの方が紅葉散策に訪れることで知られている。ゆるやかな参道の石段、苔むした石垣に二百本のもみじの古木が幽玄な情景を醸し出している。
余呉湖
 賎ヶ岳を一つ隔てた琵琶湖の北に位置する。周囲6.4km、水深13m、三方を山で囲まれた断層盆地にあって、琵琶湖との水面落差が49m近くある。
 古くは、琵琶湖を大江(おうみ)、余呉湖を伊香(いか)の小江(おうみ)と称し、天女の羽衣や龍神:菊石姫の伝説が残る神秘の湖。別名「鏡湖」と呼ばれている。
 白鳥に姿を変えて水浴びを楽しんでいた8人の天女の姉妹のうち、伊香刀美(いかとみ)に羽衣を取られた末、妹だけが天に帰れなくなり、夫婦となって2男2女をもうけたという物語。また羽衣を取ったのは桐畑太夫で、菅原道真がその子であると伝える話もある。


 びわ湖長浜ツーデーマーチ  主会場 豊公園
   5月10日(土) 
浅井戦国40km166名・三成ゆかりの地20km398名・びわこ南10km403名 計967名

 朝方まで降り続いた雨も止み、曇り空の中、第33回びわ湖長浜ツーデーマーチの開催です。7時から受付が始まり、コース毎に8時・9時・10時のスタートです。
 噴水の周りにはテントが建ち並び、ウオーキンググッズを買い求めたり、お灸の体験をしたり,キャラクターの三成くんと記念写真を撮ったりする光景が見られました。

 スタート時には地元の太鼓チームの方々の演奏で見送られ、大会気運を盛り上げてくださいました。
 浅井戦国40kmコースは、長浜駅前を通って国道8号を渡り、南郷里までは20kmコースと同じですが、この後、浅井
町を歩き、姉川古戦場の側を通り、石田町の石田三成公出
  生敷跡の前で20kmコースと合流します。
 西黒田から神田山公園の周囲を歩き、国道8号を渡り、田村駅を過ぎた所の長浜バイオ大学で休憩です。
 そして、ゴールまで湖岸を歩きます。途中、長浜大仏の背中を見ることができました。
 横断歩道などでは、地元のスタッフの方が安全に誘導してくださったお陰で無事にゴールできました。
 噴水広場では、 午後から地元の方による軽音楽の演奏もあり、大会を盛り上げていただきました。今回も完歩した人には抽選券が配られ、テント前には長い列ができています。時々賞品が当たった時に鳴る鉦の音が聞こえています。

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小網ウオーキング協会会長あいさつ


入念に準備体操


行ってらっしゃい


三成君と市長に囲まれ意気揚々のみなさん



午後は湖岸を歩く
   
ウオーキング協会馬場スタッフによる準備体操


ウオーキング協会髙山理事のあいさつ


小学生も数多く参加


長浜バイオ大学で昼食(10kmコース)



ゴール目指して頑張る小学生

   ビューポイント

長浜城歴史博物館
 
秀吉が初めて一国一城の主となった出世城。築城の際に今浜を長浜に改めました。現在の城は昭和58年に長浜城歴史博物館として再興され北近江の歴史資料を数多く展示している。
黒壁スクエア
 江戸時代に栄えた北国街道周辺に今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸~明治時代に造られた藏や商家を生かしたショップ、ギャラリー、レストラン、カフェ、ガラス工房など約24軒が点在している。
長浜別院 大通寺
 真宗大谷派本願寺別院大通寺は、「ごぼうさん」の名で親
しまれている。
  桃山建築の本堂(重要文化財)と大広間
(重要文化財)、伊吹山を借景にした枯山水庭園の含山軒(がんざんけん)庭園(名勝)、狩野山楽・山雪を代表として狩野派の画家が描いた障壁画など見どころが多い。
三成出生地
 石田三成が生まれた地、石田町。生家跡に建つ石田会館には出生の碑や銅像、堀跡が残っている。近くの八幡神社の裏手には一族の供養塔や三成自筆の和歌、辞世が刻まれた石碑が建つ。

姉川古戦場
 織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が激戦を繰り広げた地。最初は浅井軍が優勢だったが徳川軍の奮戦により織田・徳川軍が勝利する。現在は供養塔や碑が残る。



  水口曳山祭りに往こう
4月20日(日)  晴れ  83名
三雲駅~朝国~泉公民館~柏木小学校~北脇公民館~水口神社~野洲川内貴橋~川田神社~貴生川交差点~貴生川駅

 三雲駅前で受付です。今日は雨の心配もなさそうです。いつものように小網会長あいさつの後、コース説明があり、準備体操をし、集合写真を撮って出発しました。
 駅前の通りを少し歩き、坂を上がって東海道に入ります。泉公民館を通り、柏木コミュニティセンターで休憩です。その後、美富久酒造の前で二回目の休憩になりました。
 水口神社では曳山祭りが行われています。家族連れや若者
  など大勢の人で賑わっています。
ここが最終目的地なのでゆっくり祭りを鑑賞することができました。屋上に今流行のキャラクターや大谷選手の人形を載せた山鉾もあり、愛嬌のあるお祭りのようでした。幼児や小学生が大人に交じって太鼓を演奏していたのも、地域の伝統文化を継承していく上で大切なことだと感じました。
 昼食を採った後も観ている人が多かったようです。

 

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参加のみなさん 三雲駅で



美富久酒造の藏の前で


力を合わせて山鉾を引っ張る


祭りを盛り上げる色とりどりの飾り


子どもたちも祭りを盛り上げる


一役終え余裕で見物する若者


大勢の人で賑わう水口神社

   
美富久酒造の前で休憩



東海道を歩いて水口神社に向かう


今年流行のキャラクターが見える


先導役が山鉾を引っ張り本殿へ向かう


揃いのはっぴで山鉾を引っ張る


神社に集結した山鉾


大人に交じって子どもたちも太鼓を演奏

   ビューポイント

水口曳山祭り
 水口神社の例大祭である「水口まつり」の祭礼行事として、享保20年(1735年)初めて曳山が曳き出されました。
 今日では水口まつりと呼ばれ親しまれている.町内に現存する山鉾は16基あり、県下で最も多く、曳山の中で囃される水口囃子は変化に富んだ特殊性があり、一番の見どころは祭りの主役である16基の曳山です。「ヤマ」と呼ばれており、江戸時代から明治時代にかけて作られています。
 16基のうち14基が白木山、2基が塗り山で、その姿は社
  殿建築を思わせ、細部は彫刻が施されたヤマは見応えがあります。そのヤマが勇壮闊達なリズム「水口囃子」に合わせて町を巡行する様子は迫力があります。
 この曳山は「二層天四輪」という構造を持ち、白木の緻密な木組みや美しい彫刻が特徴です。屋上に「ダシ」と呼ばれる故事や言い伝え、その年の流行などにちなんだ人形を載せ「水口囃子」の軽快なリズムで巡行します。
 巡行している曳山は見応えがあり、方向転換の際は人力で回転させる様は迫力を感じます。


 長浜曳山祭りと北國街道を歩く
4月15日(日)    曇り時々雨後晴れ  56名
田村駅東口駅~田村神社~忍海神社~下坂氏館跡~良疇寺~平方天満宮~豊公園~曳山博物館~長浜駅

 最初、田村駅近くの田村神社に詣でた後、いくつかの神社の前を通り、「土豪」と呼ばれる村落領主の屋敷跡である下坂氏館跡を訪れました。雨が降ってきて傘をさしてのウオークとなりました。北陸本線の踏切を渡り、歩を進めると長浜大仏が見えてきました。豊公園の中に入り、昼食です。晴れてきたので満開の桜をバックに集合写真を撮りました。
 午後からは、長浜市内を巡ります。
    商店街から少し奥まった所に空に向けて伸びる高さ8mの日本一の竪型万華鏡博物館がありました。頂上部に色とりどりの羽根が付いていて、光が反射し、様々な色や模様を作り出してくれます。みなさん、興味深くハンドルを廻したりして見入っておられました。
 この後、長浜八満宮に行き、全国的にも珍しい子ども歌舞伎を鑑賞しました。

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青空に向かって伸び伸び準備体操


長浜大仏が見える


参加のみなさん


桜のトンネルを抜ける


しだれ桜に見入る


長浜八幡宮で



子どもたちの熱演に拍手
   
田村神社


豊公園の中を歩く


満開の桜に感激


長浜城と桜のコラボ


万華鏡博物館を訪れる


子ども歌舞伎を鑑賞


練習してきた成果を発揮する子どもたち


  ビューポイント

田村神社
 後陽成天皇の時代に大雲寺中興の僧裕海が社殿を再建したという。古くは天王宮と称していたが、明治になって地名をとって田村神社と改称した。一段高まった社地に拝殿があり、拝殿の背後に門・透塀に囲まれた本殿がある。往昔は天王宮と称したが、明治維新以後、地名に因んで田村神社と改称する。鎮座年代は不詳であるが、社伝によれば寛仁二年に当地に多田幸寺を創建の時、僧源賢が四隅に四天王を奉斎し

   て守護神とした。戦乱のため荒廃した社殿を後陽成天皇の御代に当地中興の僧裕海が古の社地に再建したと伝える。
長浜曳山祭り
 この祭りは日本三大山車祭りの一つに数えられ、長浜八幡宮で行われる神事や豪華な曳山巡行、子ども歌舞伎などが特徴。長浜曳山祭りは、1581年に豊臣秀吉が長浜城主の時に始めたと伝えられている。息子の誕生を祝って町民に砂金を配り、それを元に曳山が造られたことが起源とされている。

 


  琵琶湖一周健康ウオーキング2025①
4月13日(日) 小雨   137名
大津駅~北國橋~ブランチ大津京~唐崎駅前~穴太神社~生源寺~坂本観光案内所~坂本石積公園
~おごと温泉観光公園~北雄琴信号~仰木口信号~堅田駅


 今日は、2025年度第1回目の琵琶湖一周健康ウオーキングです。大津駅北口広場には、次々と参加のみなさんが集まっています。
 大津駅を下り、日赤の前を通り、長等、観音寺を越え、松山町のブランチ大津京で休憩の後、国道を自衛隊北まで歩きました。信号を左折し、次は、唐崎駅まで歩きます。唐崎駅正面の道を上がり、穴太地蔵堂から作り道に入ります
 穴太衆積みの盛安寺の前を通り、生源寺に到着です。
B・C班はこの近くで昼食です。
 A班は坂本駅近くの石積み公園で昼食になりました。
 当日は、日吉山王祭の花渡り式が行われ、稚児と甲冑武
者の行列が参道を練り歩いており、参加のみなさんも一部
   目にすることができました。
 この後、県道を歩いておごと温泉観光公園で休憩です。
国道に出て仰木口信号を左折し、堅田駅にゴールしました。
 途中、雨が降ったりのウオークでした。
 小学生の男の子も両親と一緒に堅田駅までゴールし、拍手で迎えられました。
参加のみなさんはお疲れさまでした。
 本日の模様は、BBC琵琶湖放送で4月26日(土)18時10分から15分と27日(日)の朝6時55分から7時に放映されます。琵琶湖一周健康ウオーキング2025②は「堅田駅~近江八幡駅23km」は堅田駅9時30分集合で実施します。多くの皆様の参加をお待ちしています。

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準備体操 大津駅北口広場で


伊勢、三輪に次ぐ我が国最古の神社


穴太から坂本に続く作り道を歩く


数年前の山王祭の様子


数年前の山王祭の様子


数年前の山王祭の様子


比叡山坂本駅近くを歩く
   
参加のみなさん


光秀の陣太鼓、十一面観音立像のある盛安寺


最澄が誕生の時に使ったとされる古井戸


数年前の山王祭の様子


数年前の山王祭の様子


坂本石積の郷公園


おごと温泉観光公園


 ビューポイント
 
作り道
 かつては参拝者の宿などが軒を連ねていた「作り道」と呼ばれる町家の通りは今も古い町家が立ち並び、門前町の雰囲気を色濃く伝えている。
生源寺
 最澄の生誕地とされ、弟子の慈覚大師円仁が作った十一面観世音菩薩像が本尊。最澄の産湯に使用したという古井戸がある。
穴太衆積みの石垣
坂本では、延暦寺の里坊のみならず神社や古い民家の石塀
などに特異な石積みがみられる。
これは「穴太衆積み」と呼ばれ、坂本の大字「穴太」の一帯
  に古来より居住し、山門(比叡山)の土木営繕的な御用を勤めていた「穴太衆」の技術によるもので、これは、門前町の重要な景観要素になっており、特に日吉大社参道に並ぶ里坊地帯には美しい代表的な遺構が見いだせる。
 その特色は加工しない自然のままの石面を巧みに用いて石積みの面を構成し自然の美しさを保っている。
おごと温泉観光公園
 おごと温泉の上質な源泉を活用し、無料で楽しめる足湯をはじめ、おごと温泉周辺の観光案内や地元物産品の展示・販売、カフェ、レンタサイクルなどがある。公園内には緑の美しい芝生の上やベンンチに座って琵琶湖を一望できる休憩場所もあり、春に咲くお花畑も有名。


     大津なぎさウオーク(新しい湖畔の風景と桜の名所を訪ねて)
2025年4月8日(日)  晴れ  122名
大津駅~お祭り広場~なぎさ公園~由美浜~サンシャインビーチ~膳所城址公園~松原~石山駅

 好天気に恵まれ、気持ちの良い朝を迎えました。
 大津駅北口広場では、いつものように小網会長の挨拶に続き、大津駅長さんの話を聞いた後で、40回から100回完歩した方の表彰があり、記念のバッジやTシャツ、ウインドブレーカーが駅長より手渡され、参加のみなさんから大きな拍手をいただきました。準備体操をし、集合写真を撮って出発です。大津駅前の大通りを下り、お祭り広場に向かい、なぎさ公園を歩きます。休憩の時はミシガンが見えました。
 芝桜も
咲き始めています。
   由美浜にオープンした「ラーゴ」に立ち寄りました。近江八幡の店より規模は小さめですが、造りは似ています。しばらく休憩し湖岸を歩いて膳所城址公園で昼食になりました。桜は満開で大勢の人が弁当を広げ花見を楽しんでいます。我々も桜の下で一時間ゆっくりとお花見ができ、春爛漫の気分が味わえました。
 この後も湖岸を歩きます。途中、新入社員の方々が琵琶湖をバックに記念撮影をしていました。
 粟津晴嵐を通り石山駅に13時過ぎにゴールしました。
     
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準備体操 大津駅北口広場で


琵琶湖文化館の前を歩く


三上山(近江富士)が見える


なぎさ公園で休憩


一列になって歩く


芝桜が咲き始める


膳所城址公園に着く


お腹も心も満たされて


満開の桜を愛でる

   
参加のみなさん


なぎさ公園にに向かう


なぎさ公園で休憩


ミシガンが見える


湖畔を気持ちよく歩く


由美浜の新店舗「ラーゴ」を背に


どこで昼食にしようかな


一時間かけてお花見


粟津の湖岸を歩く

ビューポイント

サンシャインビーチ
 大津湖岸なぎさ公園の中で最も広く、「市民プラザ」から近江大橋へ広く長い砂浜が続く広場。裸足で砂浜を走り、水とたわむれ、市民の水辺としてなぎさ公園の良さを体験できる広場となっている。また、砂浜の背後には松並木が続き、白浜青松の風景が広がる。広場の背後には、レストランや姉妹友好都市の紹介コーナーを設けた「ヴユルツブルクハウス」や、市民プールが併設されている。
膳所・晴嵐の道
 
膳所城址公園から晴嵐までの湖岸沿いを緑でつなぐ遊歩
  道。湖に突き出た膳所城址公園や近江八景で有名な「粟津の晴嵐」など大津の歴史と景観が自然と一体になっており、いにしえに思いをはせ、時の流れに心をなごませる場となる。
「LAGO大津」
 3月24日、たねやの新店舗、LAGO大津(ラーゴおおつ)がオープン。洞窟のような見た目が特徴のメインエントランス。たくさんの提灯が印象的なショップ。壁面にはお菓子の木型が並んでいる。店舗を除くエリアを「琵琶湖の森」と名付け、琵琶湖の森では、苗木や小さな生き物たちをゆっくりと育みながら、稲木や水辺で里山を再現している。

海津大崎・観桜の道
4月6日(日) 曇り時々雨、後晴れ 44名
永原駅~大浦~二本松~海津大崎~マキノ

 永原駅から琵琶湖に向かう大浦川では、コクバンが魚を捕まえようとパタパタと音を立て飛び跳ねています。土手には黄色の水仙が咲いています。野球部と思われる中学生たちとすれ違い、あいさつを交わす光景がありました。
 大浦公園に着くと、テントが並び、もちやたこ焼き、焼き鳥等の店があり、参加のみなさんは楽しんで買い求めていました。この後、ずっと湖岸を歩きます。釣り人にも会いました。石畳の道をしばらく歩いた後、車道に出ます。雨がポツポツ降ってきました。合羽を着たり、傘をさしたりして歩きます。竹生島がずっと見えています。花見船も走っていて手を振る人もいます。桜はまだ蕾みから二分咲き程度です。
   途中、七分咲きの桜があり、カメラを構える人もいました。二本松を過ぎ、五つのトンネルを通った後、海津大崎に着きました。昨年と違って、土産物店はシャッターを下ろし、音楽も聞こえてこないので淋しい感じです。坂を上がり、大崎寺の近くで昼食です。高台からは、遊覧船やカヌーが良く見えます。一時前に出発し湖畔を歩きます。
 青空が見広がり、晴れてきました。途中、義経が隠れたという隠れ岩の前を通りました。色鮮やかなカヌーに出会います。マキノ町西浜を通り、魚の佃煮工房に立ち寄りました。
 多くの人が新鮮な鮎、モロコ、いさざ等を買い求めていました。しばらく歩いて湖のテラスで解散となりました。

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参加のみなさん 永原駅の前で


波静かな湖岸を歩く


やっと見頃の桜を見つける


大崎寺近くで昼食


開花が待たれる桜の前を歩く


佃煮工房の近くに来る
   
草もちや焼き鳥を買い求める 大浦公園で


石畳は歩きにくい


これから五つのトンネルを歩く


湖岸から道路に上がる


義経の隠れ岩の前を通る


湖のテラスでのんびり琵琶湖を眺める


  ビューポイント

海津の街並み
 山が琵琶湖に迫り、湖岸沿いを西近江路が通るマキノ町の海津は、湖上水運と陸路を結ぶ交通の要衝でした。
 街道沿いにはかつての賑わいを伝える建物が残され、石積みや、街道と水辺を結ぶ辻子とよばれる細い通路が独特の景観を作り出している。
海津大崎

 「日本のさくら名所百選」にも選ばれている海津大崎の桜。樹齢80年を優に超える老桜から次世代へ引き継ぐ若木
   まで約800本のソメイヨシノがびわ湖岸約4kmに渡って続いている。また海津大崎はびわ湖随一の岩礁と湖の碧、遠くに竹生島が見える景勝地である。
義経の隠岩
 海津大崎の少し手前の湖岸にある。
 義経が兄の頼朝に追われる身となり、奥州平泉に逃れる時、この岩に隠れたといわれている。海津付近に上陸し、一時身を隠して北国へ逃れていったことを謡曲「安宅」の一節に謡われている 。


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