NPO法人滋賀県ウオーキング協会【イベント報告】

 
  平日ファミリー大津なぎさウオーク(午王さんの日)大津駅~石山駅 12km 記
 2019年6月18日(火) 晴れ     149名      

        大津駅~(旧東海道)~石場~膳所城趾公園~瀬田唐橋~螢谷公園~石山寺~石山駅   

 朝から好天気に恵まれ、汗ばむ陽気となりました。いつものように開始式ではコース説明の後、駅長から完歩賞の授与がありました。大津駅から県庁前を通り、旧東海道を歩きます。松本、石場、義仲寺を過ぎ、最初に西ノ庄にある磐井神社を訪れました。ピンクや紫のあじさいが咲いていて、カメラに収める方もおられました。次は和田神社です。石田三成がくくられたという大きなイチョウの木があります。
 11時過ぎに膳所城趾公園に着き、11時45分まで昼食休憩となりました。

 午後は、ずっと湖岸を歩き、粟津の晴嵐から唐橋を越え、川幅が狭くなる瀬田川に沿って歩き、13時頃に石山寺に着きました。今日は牛王さんの日で門前市が開かれていて、賑わっていました。トマトや果物、さつまいもなどを買い求めておられる方も見受けました。
 帰りは、京阪石山寺駅からしばらく旧道を歩き、県道に出て石山駅まで歩きます。本日は、お疲れ様でした。
 
 次回の「第89回大津なぎさウオーク(琵琶湖の恵みに感謝して)」は7月16日(火)大津駅9時30分集合です。大津駅から湖岸に出てサンシャインビーチを通り、なぎさ公園まで歩きます。プリンスホテルから大津港まで40分のミシガン乗船を楽しみます。乗船料は300円です。その後は、びわ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)を通り大津京駅で解散になります。
 皆様、多数の参加をお待ちしています。

 
  
          小島会長の準備体操                小舟入りの常夜灯(写真),

  
                              磐井神社で休憩

  
              紫陽花                       磐井神社 八大龍王神

  
                               和田神社で休憩        

  
  石田三成がくくられたという銀杏の木   湖岸を歩く   後ろは近江大橋

  
     湖岸を歩く  粟津付近               名勝 「粟津の晴嵐」を経て石山から瀬田川沿いを歩く

ビューポイント

小舟入りの常夜灯

 打出浜の交差点から京阪電車の線路を越えた辺りに、小舟入りの常夜灯が建てられている。この常夜灯は、「お伊勢参り」の常夜灯として、文化5年(1808年)9月に京都の伊勢講の一つと思われる「恒藤講」によって建立されたもの。この辺りは、元々、「小舟入りの船着き場」と言われ、江戸時代には、矢橋とを結ぶ“湖上交通の拠点”として、「お伊勢参り」などの旅人によって賑わい、その人たちを接待する水茶屋が軒を並べていたそうです。大津の船着き場の一つ、小舟入りを示す常夜灯として、とても貴重なものです

瀬田唐橋 「唐橋を制する者は天下を制す」

 全長260m。勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋の一つとされてきた。明治22年まで瀬田川に架かる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要地であったことから、「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。唐橋を舞台として繰り広げられた、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱など、昔から様々な戦乱に巡り合ってきた。本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。

俵藤太こと藤原秀郷は、940年の平将門の乱の討伐で知られる。彼が瀬田唐橋に現れた大蛇に頼まれ、三上山に住む百足を成敗したという伝説も、武勇のほまれ高い秀郷らしい。大蛇は瀬田川に住む龍王の化身とされ、橋の東詰には、この秀郷と龍王を祀る橋守神社がある。(俵藤太の百足退治)

牛王さんの日

石山寺の観音様、牛王(ごおう)さん詣での縁日が毎月18日で、この日は昔々より石山寺門前の参道には、市が建ち並び、老若男女の参詣者で賑わっていた。

残念ながら、明治期以降、門前市は姿を消していましたが、石山寺門前周辺では「あの賑わいをもう一度」の声が高まり、観音様の縁日にお詣りにみえた方々にしじみ汁の接待をはじめ、参詣を楽しんでもらえるよう観音市(門前市)を開催している。門前市には懐古品・骨董・衣料品・朝採りの野菜・一夜干しなどの店約30店舗が出店している。

螢谷貝塚

 瀬田川の右岸、国道422号を下った瀬田の唐橋と石山寺の間の山側に車道より50㎝程高くなった歩道部分がある。実はこの周辺は、縄文時代の貝塚が広がっていて、その貝塚を保存するために土が盛られている。ここは螢谷貝塚と呼ばれ、石山貝塚に続き、今から約6,300年前につくられた貝塚。







 
  びわ湖一周健康ウオーキング2019③ 守山駅~堅田駅 16km  記
 2019年6月16日(日) 天候 晴れ  340名      

 守山駅~元町交差点~守山市民運動公園~赤野井町~琵琶湖大橋東詰~ピエリ守山(昼食)~びわ湖米プラザ~堅田駅(ゴール)

 今回は中山道の守山宿から琵琶湖畔へ向うコースです。たくさんの方々に参加していただきました。時折、風が強く吹く時がありましたが、ウオーキング日和になりました。琵琶湖大橋を渡る時は、風で帽子が飛ばされそうでした。比叡山や比良山など湖西の山々や琵琶湖特有のエリも見ることができました。
 米プラザに着く頃、少し雨に出会いましたが、すぐ止みました。

 今回初めて大庄屋諏訪家屋敷でトイレ休憩です。中を見学される方もいました。昼食は、ピエリ守山2階フードートで摂りました。弁当持参の方は琵琶湖畔等で食べました。本日はお疲れさまでした。

次回の「琵琶湖一周健康ウオーキング④ 堅田駅~志賀駅14km」は6月30日(日)堅田駅9時30分集合で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。

  
  
    開始式    守山駅前広場                        A班のみなさん                    

   
          B班のみなさん                         B班のみなさん

  
          C班のみなさん

  
                                   大床屋諏訪家屋敷 列詰め、トイレ休憩

  
 茅葺の母屋、書院造り風の武家造り 書院は母屋から直角に入母屋破風を突き出し、武家客殿の風格を窺わせる

  
       琵琶湖大橋米プラザで休憩               米プラザから琵琶湖大橋を望む                 
                        

ビューポイント

守山宿

 守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。1642年、守山宿は、徳川幕府により、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。中山道は東京板橋からマオリ山までの六十七次で守山は最終宿場でした。 江戸時代、旅人の一日の行程は八里(約32キロ)から十里(40キロ)でした。京都三条大橋から守山までが八里六町(約84.4キロ)でこの行程にあたる。京都から中山道を通って江戸方面に行く(東下り)人たちは守山で泊まりました。

このことから「京だち守山泊まり」と呼ばれ、守山は明治維新まで繁栄しました。

比叡山東門院守山寺

 守山の地名の由来となった寺で、守山観音と呼ばれる。最澄が延暦寺を開いた時、東方の鬼門を守るために建立されたと伝えられている

大庄屋諏訪家屋敷

 諏訪家屋敷は、暦応三年(1340年)に諏訪円忠が足利尊氏に従って信州より当地へ地頭職として赴任したことに始まる。その後、子孫が土着し、江戸時代には、赤野井一帯の小津郷の大庄屋であった。

 庭園は、江戸時代中期につくられた枯山水、池泉回遊式で、民家に残るものとしては貴重である。母屋は茅葺きで、書院造り風の武家造りである。屋敷内には、他に、土蔵、茶室があり、茶室は明治維新の後、大津の円満院からの移築である。茶室裏の天神川から屋敷地内へ船が出入りできるように石垣が工夫されている。







 
  余呉湖一周と北国街道 12km      記 
 2019年6月9日(日) 曇り 112名      

 余呉駅~余呉漁港~菊姫石と蛇の目玉石~あじさい園~余呉観光館~おはへ神社~賤ヶ岳~木ノ本地蔵院~木ノ本駅 

 今年は5月から30度を超える夏日が続き暑い日になる事を心配していましたが 今日は曇り空、予想最高気温も23度と歩き易い好条件となりました。滋賀県で最北端のアクセスの悪い余呉なので いつもとは遅い10時集合でした。何時も参加者が少ないのに112名の参加を頂き、うれしい悲鳴。10時から小島会長の挨拶と湖北支部長のコース説明の後、10時15分スタートしました。

 余呉駅から1キロ程で余呉漁港のある緑地公園へ着き、小休憩を兼ねてこの次のポイントの「菊石姫と(へび)の目玉石」の伝説の説明をさせて頂きました。今から1200年ほど昔のお話で信じ難い不思議な話ですが皆さん真剣に聞いて頂きました。
 鏡湖とも呼ばれる余呉湖は今日も周りの山々を美しく映していました、また「あじさい園」は沢山の花をつけていましたが、未だ色付きが遅く鮮やかな花が見られず残念でした。

 周囲6キロ程の湖周を初夏の風を受け快適に歩き、「余呉湖観光館」に12時過ぎ到着。
 昼食のあと下余呉から北國街道を南へ、国道365沿いの旧道は新しい家が並びますが、静かで古い街道の面影を留めています。街道独特の曲がりくねった道を木ノ本宿に入ると、一里塚跡の松の木が枯れたのか切り倒され説明板が寂しげでした。山之内一豊の妻が名馬を買ったと言う牛馬市跡や、目にご利益のある木之本地蔵院を経て2時頃無事木ノ本駅にゴールしました。
心配した雨に降られる事なくまた暑くもなく快適に歩く事が出来幸いでした。                                              (湖北支部 徳田義介)
 次回は、6月23日(日)に「西の湖一周ウオーク(水郷巡り)安土駅~安土駅14km」を実施します。      
 皆さま多数の参加をお待ちしています。

        
                           準備体操   余呉駅前で                    余呉漁港

  
                          湖面に映る山や木々

  
          鏡湖とも呼ばれる余呉湖                       紫陽花 

  
                            爽快な気分で湖周を歩く

  
                              湖周を歩く

  
                           「菊姫石と蛇の目玉石」の前で

  
                           「天女の羽衣の像」の前で                      

  
        天女が羽衣を掛けた衣掛柳                    木ノ本地蔵尊

  
         6mの地蔵菩薩像                            身代わり蛙

ビューポイント
菊石姫と蛇の目石」伝説
 川並の長者桐畑太夫の娘の菊石姫は、ある干ばつの年、村人の苦しみを見かねて、天神に祈り、余呉湖に身を投げ、蛇身となって大雨を降らせたという。
 別の話では、蛇体となった姫は、疎まれて湖に身を隠し、霊力のある自らの目を、養育してもらった下女に捧げる。それを知った者が、もう片方の目を差し出すように女を脅すが、姫は恩に報いるため、目を抜いて、盲目の身となって湖に消えていく。目を投げつけた菊石姫の枕石は新羅の森近くの川並の南の湖畔に祀られている。
                                         (奥琵琶湖観光協会)
 残った片目が落ちて跡が残ったという石も「目玉石」と呼ばれて、今も見ることができますが、「目玉石」は余呉湖の水中にあるので直接は見ることができません。

 この目玉石、日照りで困った時に、湖から上げて新羅の森に運んで祈ると不思議と雨が降り出すそうです。~今も菊石姫は湖の底で余呉湖周辺の平穏を祈りながら静かに眠っている。~

羽衣伝説
 余呉に伝わる羽衣伝説は代表的なもので三つあります。その内の二説を紹介します。
 
  伊香刀美『帝王編年記』より
 余呉の郷の湖に、たくさんの天女が白鳥の姿となって天より降り、湖の南の岸辺で水遊びをした。それを見た  伊香刀美は天女に恋心を抱き、白い犬に羽衣を一つ、盗み取らせた。天女は、異変に気づいて天に飛び去ったが、最後の若い天女のひとりは、羽衣がないため飛び立てない。地上の人間となった天女は、伊香刀美の妻となり、4人の子どもを産んだ。
 兄の名は意美志留(おみしる)、弟の名は、那志刀美(なしとみ)、姉娘は伊是理比羊(いざりひめ)、妹娘は、奈是理比羊(なぜりひめ)、これが伊香連(伊香郡を開拓した豪族)の先祖である。
 のちに天女である母は、羽衣を身にまとい、天に昇った。妻を失った伊香刀美は、寂しくため息をつき続けたと いう。

  七夕伝説『雑話集』
 昔、近江国余呉の湖に、織姫が水浴びをしていると、土地の男が通りかかり、脱いであった天の衣を隠してしまった。織姫は天に帰れず、やがて男の妻になった。 織姫は、子どもを産んだ後も、天に帰りたい気持ちは失せず、声を忍んで泣いていた。男が出かけている間に、子どもが父の隠した天の衣を母に渡したので、織姫は喜び、衣をまとって飛んでいった。「私はこういう身だから、簡単には逢えないが、7月7日はこの湖で水浴びをしましょう。その日なら会えますよ。」そう母は子どもに泣きながら約束した。
 織姫の子孫は今もいると伝えられています。これは、余呉の天女伝説に七夕伝説が結びついたものです。

木之本地蔵院

 秘仏である本尊を模している6mの地蔵様は、全国から訪れる参拝客を出迎えてくれる。寺の歴史は古く、白鳳時代に遡る。空海、基礎義仲、足利尊氏も参拝した記録がある。眼の仏様で、片目をつむった身代わり蛙たちが住んでいる。お寺に住む蛙は、多くの人々が眼の病気で困っているのを見て、「全ての人々の大切な眼がお地蔵様のご加護をいただけますように」と、自らが片方の眼をつむることによって身代わりの願をかけたと言い伝えられている。



 




 
  比叡山年輪ウオーク2019       記 
 2019年5月26日(日)晴れ      

 往路 Aコース 大宮谷林道~横川中堂~玉体杉~峰道広場まで11km 
     Bコース 坂本駅―(ケーブル)―延暦寺駅~東塔~西塔~峰道広場まで6km 
 
復路 Cコース 峰道広場~延暦寺~本坂~生源寺まで11km  
     Dコース 峰道広場~延暦寺駅―(ケーブル)―坂本駅~生源寺6km
     Eコース 峰道広場解散(バス等の利用  

伝教大師の生誕地である生源寺で9時15分から出発式を行いました。小島達雄会長の開会挨拶に続き、JWAの畑浩靖会長と比叡山延暦寺副執行総務部長獅子王圓明氏の挨拶がありました。続いて馬場敏雄副会長より、炎天下でのウオーキングの注意事項等があり、松浦正和理事の檄の後、大宮林道・本坂コースが出発し、続いてケーブルカーコースが続きました。
 穴太衆積みの石垣がある日吉馬場道を歩き、日吉神社の前に着きました。大宮林道・本坂コースの方は、神社横の階段を上がって行きます。
  ケーブルカーコースの方は、すぐ近くのケーブル坂本駅(大正14年に建設され洋風2階建ての駅舎は近畿の駅100選に認定)からケーブルに乗り、延暦寺駅まで行きました。昭和2年に開業した全長2025m、所要時間11分の日本一のケーブルカーです。急勾配の線路の向こうに広がる琵琶湖や、途中ですれ違う電車にみなさんは、にこやかな表情でした。
 延暦寺駅で降車の後、根本中堂まで緩やかな坂道を歩きました。下界より少し気温が低いので暑さはさほど感じられません。根本中堂はまだ修理中のため、本来の姿を見ることは出来ませんでした。

 休憩の後、文殊楼や大講堂の前を通り、最初に浄土院で休憩し、境内を散策しました。

次に、にない堂(常行堂と法華堂)の間を通り抜け、急な長い階段を降り、釈迦堂(本尊は伝教大師ご自作の釈迦如来)に着きました。釈迦堂は、信長焼き討ち後に豊臣秀吉が三井寺から移築したものです。参加のみなさんは、お参りされたり、御朱印をもらわれたりしておられました。
 
 この後、細い山道を登ります。野仏の前を通り、坂道を下り、ドライブウエーの道を横切ると、目の前が峰道広場です。11時40分頃に着きました。伝教大志尊像を仰ぎ見ると、比叡山に来たなという実感がわきました。みなさん、藤棚の下や、琵琶湖を見ながら、おしゃべりに花が咲き、和やかな昼食タイムのようでした。かすんでいて琵琶湖や対岸の景色が見えなかったですが、ウグイスの鳴き声が聞こえていました。

13時から伝教大師横の「ウオーク祈念碑」広場で、敬慕祭・「歩者国賓」年輪式の開催です。小島達雄会長の開会の挨拶に続き、JWA会長畑浩靖氏の挨拶がありました。
 本年度刻銘先人敬慕碑の除幕があり、比叡山延暦寺副執行総務部長獅子王圓明氏の祝辞を頂いた後、JWA畑会長より、20歳から10歳刻みに80歳までの代表のウオ―カーに年輪証が授与されました。

松浦正和理事の檄で13時40分に出発です。
来た時より、みなさん脚の運びがスムーズで、距離が短く感じられたようです。

延暦寺駅発15時のケーブルカーに乗り、ゴールの生源寺には15時20分頃着きました。大宮林道・本坂コースの方は、15時40分頃の到着でした。
 皆さん、本日はお疲れ様でした。次回の年輪ウオークは2年後の2021年です。
お会いできる日を楽しみにしております。

 
  
     生源寺にある伝教大師産湯の井戸                 伝教大師ご誕生

  
     JWA会長 畑 浩靖氏あいさつ       比叡山延暦寺副執行総務部長獅子王明氏の歓迎あいさつ

  
  SWA副会長馬場敏雄氏より注意事項について       竹本主任指導員による準備体操

  
  SWA理事松浦正和氏による檄             穴太衆積みの日吉馬場を歩く

  
  坂本駅から延暦寺駅までケーブルカーに乗る      延暦寺駅に到着・眼下に広がる琵琶湖を眺める

  
       最澄が眠る御廟所 浄土院                  新緑の空気を吸って休憩

  
   にない堂をくぐって釈迦堂に降りる                   しっかり水分補給

  
                            新緑の木立の中を歩く

  
    長い階段を降りてやっと釈迦堂に到着                  釈迦堂をお参り

  
       ここから山道に入る                        一歩一歩着実に進む

  
   安全を守ってくださっているような野仏の数々      伝教大師尊像がそびえる峰道広場に到着

  
 眼下に広がる琵琶湖と対岸の三上山(近江富士)  比叡山延暦寺副執行総務部長獅子王明氏の祝辞


  
    JWA畑浩靖会長より年輪証の授与              SWA理事松浦正和氏による檄

  
  大講堂 僧侶がお互いに問答をする学問修行の道場     鐘楼の鐘の音が響いていました







 
  比叡山年輪ウオーク2019「せっかくウオーク」  記 
坂本城址、門前町を訪ねる道 10km
 2019年5月25日(土)晴れ 26名   

        比叡山坂本駅~東南寺~明智塚~坂本城跡碑~坂本城跡公園~盛安寺~滋賀院門跡~慈眼堂
       ~日吉大社~山辺の道~西教寺~比叡山坂本駅


 石積みの郷公園で12:30から受付の後、13:15から出発式です。JWAの金澤部長から、年輪ウオークの意義や熱中症等についての注意などをお話頂き、続いて小島会長より、コース説明があり、来年度の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀公の生涯や、坂本の復興と西教寺再建に尽力したことなどについて、また、門前町、城下町として発展してきた坂本の町の歴史についての話をした後、準備体操をし13:35分に出発しました。
 
 32度の高温の中で、水分補給を心掛け、できるだけ日陰を歩くことを意識して歩きました。会長が行く先々の説明を行い、参加のみなさんは、熱心に聞いておられました。
 盛安寺では、藤原時代の十一面観音立像を見て頂くことができました。生源寺では、御朱印をもらわれる方がおられました。
 穴太衆積みの石垣を見ながら、滋賀院門跡までの石畳の小道を歩いている時は、みなさん、「いいところですね。」と喜んでおられました。
 延暦寺の守護神である日吉神社の前を通った後、山辺の道をしばらく歩きます。木々の間から吹く涼風に浸りました。
坂を上り切った後、青い琵琶湖が目に飛び込んできてカメラに納める方もおられました。
 
 西教寺を訪ねた後は、比叡山坂本駅までずっと下り坂を歩き、16時30分頃に着きました。
 本日は、暑い中のウオーキング、たいへんお疲れさまでした。
 遠方からお越しの方々、機会があれば是非、日吉神社や西教寺の桜や紅葉を見に来て下さい。坂本では、毎年、七基の神輿が登場する勇壮な山王祭が、満開の桜の中を4月12日から15日まで繰り広げられます。


  
 
      坂本・石積みの郷公園  受付                      体操

  
             東南寺                坂本城落城の時、討死した明智一族とその家来の首塚

  
  明智塚 (坂本城落城の時、光秀の名刀を埋めた跡)     坂本城跡碑

  
         明智光秀像の前で         琵琶湖に突き出る山王鳥居(ここから神輿を乗せた船が出る)

  
     天台座主の住居であった滋賀院門跡       天台座主の廟所、桓武天皇の宝塔などがある慈眼堂

  
       阿弥陀如来の石仏13体                       日吉大社鳥居

  
     山王鳥居の説明                京都御所の鬼門の説明

  
          日吉大社石橋                        山辺の道から琵琶湖を眺望

  
           千体地蔵尊                     天台真盛宗の総本山 西教寺

  
       新緑の西教寺境内を歩く                    不断念仏の西教寺本堂

  
     明智光秀一族の墓と大津そろばんの碑             明智光秀辞世の句碑

  
         明智光秀の妻の墓

  
                             羅漢さんと説法石
 
  
      山王祭 ・七基の神輿が琵琶湖へ渡御               船渡御(ふなとぎょ)

明智一族の菩提寺「西教寺」
  西教寺は、聖徳太子により創建され、真盛が再興した天台真盛宗の総本山です。織田信長による比叡山焼き討ちの後、坂本城主となった光秀は、坂本の復興とともに西教寺の再建に関わったと伝えられています。この西教寺には、光秀にゆかりのあるものが数多く残されています。中でも、「明智光秀公の供養米寄進状」は、光秀公が戦没した家臣への供養米を西教寺に寄進するために作成された文書で、光秀公の人柄を窺える貴重な資料です。光秀公の命日にあたる6月14日には、毎年、明智光秀公顕彰会フォーラムが開催され、光秀公の功績が後年に受け継がれています。  広報 おおつ 6/1号より抜粋
 
穴太衆積みの石垣
 坂本の大字「穴太」の一帯に古来より居住し、山門の(比叡山)の土木営繕的な御用を務めていた「穴太衆」の技術によるもので、これは門前町の重要な景観要素になっており、特に日吉大社参道に並ぶ里坊一帯には美しい代表的な遺構が見いだせます。
 石積みの技としては、自然石をなんの加工もせず、そのまま積む「野面積み」と、おおざっぱに加工した石を組み合わせて積む「打ち込みハギ」、のみで加工した石を間隔なく組み合わせて積む「切り込みハギ」の三種類がると云われています。
 穴太衆積みは、「野面積み」を代表する積み方で、一見粗野に見えますが、堅牢さは比類ないものがあります。
 その秘密は、積み石の比重のかけ方にあって、表面から3分の1奥のところに重力がかかるように設計されており、さらに水ぶくれによる崩壊を防ぐため、石垣の奥に栗石層、その奥に小石をつめていくなどして排水をよくする工夫が施されています。 このように目に見えない部分に、穴太衆積みならではの技が潜んでおり、それが何百年の風雪に耐え得る堅牢さを生み出しています。        
大津市
  *熊本城の修復にも穴太衆積みの技術が使われています。姫路城や長野の松本城も穴太衆積みの技術が使われています。
  




 
  平日ファミリー大津なぎさウオーク(いにしえの道を歩く)  記 
 2019年5月21日(火)晴れ 120名   
   

   大津駅(集合)~(国道1号線)逢坂の関~蝉丸神社~関蝉丸神社上社~関蝉丸神社下社
~犬塚~大津港(昼食)~大津駅(解散)
 

小島会長のあいさつ、コ-ス説明に続き、完歩賞の授与がありました。準備体操を行った後、大津駅を出て直ぐの地下道を上って国道1号線に出ました。

右に逢坂山、左に音羽山の新緑を見ながら京都方面に足を進めました。逢坂山の坂を上り、昔、関所が置かれていた逢坂の信号を渡り、かねよの前を通って蝉丸神社に着きました。小島会長から、蝉丸(びわ法師)の話しを聞き,
当時に思いを馳せました。

 次は関蝉丸神社上社です。急な階段を上って行き、参拝しました。
 三つ目は関蝉丸神社下社に行きます。京阪電車の踏切を渡った所に位置しています。屋根や壁が剥がれ、かなり、荒れていました。古井戸がありました。次の26日(日曜日)には、ここで芸能祭が行われることになっています。
 その後、日赤に入る手前にある犬塚を観て、一路大津港を目指し、昼食タイムです。芝生から、にぎやかなおしゃべりが聞こえてきました。小学生がお弁当を広げています。青空の下で、湖西の山々を見ながら、びわ湖からの爽やな風を受け、我々も談笑しながら食べました。

 食事の後は、ゴールの大津駅まで真っ直ぐ歩きます。だんだん暑くなってきました。13時頃解散になりました。
 今日は、普段あまり行くことのない神社を三つ巡りました。 お疲れ様でした。
 次回の「大津なぎさウオーク(午玉さんの日)12km」は、6月18日(火)に大津駅~石山駅を歩きます。大津駅9時30分集合です。

皆さま多数の参加をお待ちしています。

  
       小島会長のあいさつ              駅長から完歩賞の授与
 
  
       蝉丸神社境内                 蝉丸神社            

  
    急な階段を上って関蝉丸神社上社へ          関蝉丸神社上社

  
       喜撰法師の和歌                 関蝉丸神社下社

  
     犬塚の前で               大津港で昼食

 ビューポイン

 逢坂の関

  逢坂の関の初出は、平安京遷都の翌年、延暦14年(795年)に逢坂の関の前身が廃止されたという『日本紀略』の記述です。その後、逢坂の関は京の都を守る重要な関所である三関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)のひとつとして、弘仁元年(810年)以降、重要な役割を果たしていましたが、平安後期からは、徐々に形骸化されその形を失ってきました。逢坂の関の位置については、現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある周り)の周辺にあったともいわれますが、いまだにその位置は明らかになっていません。

 謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社

       これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関     蝉丸(10番) 『後撰集』雑一・1089

 幼少から盲目の延喜帝第4皇子蝉丸の宮を、帝は従臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。此の世で前世の償いをする事が未来への扶けになるとあきらめた宮も、孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
 一方、延喜帝第三皇女逆髪の宮も、前世の業因強く、遠くの果てまで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に引かれて偶然にも弟の宮蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れて行くという今昔物語を出典とした名曲が謡曲「蝉丸」である。

 蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かではないが、冷泉天皇の頃、日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、当神社の免許を受けることとされていたと伝えられる。 【謡曲史跡保存会】

犬塚の欅

 大津日赤のすぐ近くにある巨大な欅(けやき)の老木は、「犬塚の欅」と呼ばれ、市の天然記念物に指定されています。室町時代、浄土真宗発展の礎を築いた蓮如上人が京都から難を逃れて大津の地に入った時、その人気をよく思わなかった他宗の門徒たちに毒殺されようとした時、忠犬が身代わりになって死んだので、この犬を埋めた塚にケヤキを植えて弔ったということです。

 






  琵琶湖一周健康ウオーキング2019② 南草津駅~守山駅 20km  記 
 2019年5月19日(日)晴れ 318名   

 南草津駅~矢橋公園~北山田駐車場~志那駐車場(C班昼食)~道の駅草津(A・B班昼食)~山賀交差点~十二里町交差点~守山市民運動公園~立命館高校前~泉町交差点~守山駅(ゴール)

 第2回目のびわいちも300人を越えるウオーカーが南草津駅前広場に集結。駅構内の受付は長蛇の列。パスポートの押印と地図の配布。準備体操の後、班毎の集合写真の撮影。琵琶湖放送の取材があり、受付風景や準備体操の様子をカメラで撮影。
 いよいよ出発。南草津駅前広場から矢橋公園まで真っ直ぐ進みます。曇り空で「今日は歩きやすいな。」の声。適当に風もある。矢橋大橋を渡る時は、風が強くなってきた。矢橋公園でトイレ休憩。帰帆島の中を少し歩き、土手を登ってさざなみ街道に出る。帰帆北橋では強い風が吹き、帽子が飛ばされそうになる。湖岸に咲いている黄色の花菖蒲が目につきました。左にびわ湖、右に田畑を見ながら歩く。
 
北山田駐車場でトイレ休憩。
家族や友人とバーベキューを楽しむ人があり、辺り一面いい臭いがしている。湖畔では釣りを楽しむ人の姿があった。
 志那第2駐車場でC班は昼食タイム。A・B班はもう少し歩いて、道の駅草津で昼食。強風のため、テントや幟り旗が倒れていた。大型バイクが数台並んでいて、ライダーがバイク談義で盛り上がっていた。道の駅で季節の花や地元の野菜等を買い求める人もありました。
  午後からは、田植えが終わった後の青田を眺めながら、メロン街道を歩く。守山運動公園でトイレ休憩。風が強くなってきて、木々の葉が揺れている。歩きづらい。
立命館高校の前の道を真っ直ぐ進み、守山駅にゴール。長い距離をお疲れ様でした。
 
なお、本日のびわいちの様子は、びわ湖放送6月9日(日)20時30分の「プラス1」で放映されます。
 次回の「琵琶湖一周健康ウオーキング③ 守山駅~堅田駅16km」は 6月16日(日)守山駅9時30分集合で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。

      
  
         準備体操                  A班のみなさん


  
      B班のみなさん                  C班のみなさん

  
        帰帆島内を歩く            土手を上ってさざなみ街道に出る

  
     土手を上りさざなみ街道に出る            帰帆北橋を歩く            

  
        釣りを楽しむ人             バーベキューのいい臭いに誘われ





 



 
  第27回びわ湖長浜ツーデーマーチ 
(みんなが知ってる琵琶のうみ、初めて歩く出会いのまち) 
 2019年5月11日(土)・12日(日)晴れ 3,226名   

 新緑の湖北を歩いてめぐる第27回びわ湖長浜ツーデーマーチは、汗ばむほどの好天気に恵まれ、二日間で3,226名
の参加者がありました。11日(土)は、伊吹山中山道40km、坂田長沢御坊20km、近江母の郷15km、びわこ南10km
の4コース、12日(日)は、余呉湖35km、姉川国友20km、北国街道15km、びわこ北10kmの4コースです。
 次回は、「びわ湖一周健康ウオーキング2019② 南草津駅~守山駅 18km」を5月19日(日) 南草津駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。

 

  
 
             スタンプ押印                         開会式の様子

  
       いよいよ出発                            受付の様子    余呉湖35km

    
    バイカモが美しい醒ヶ井の地蔵川                  番場忠太郎の碑

  
        山内一豊公とちよ夫妻の像                   新緑の丹生渓谷

  
         新緑に映える吊り橋                石田三成と秀吉の出会いの像(長浜駅前)


  
             大谷吉継の首塚                        参加者集計表








 
  琵琶湖一周健康ウオーキング2019①大津駅~南草津駅16km  記
    (近江八景と眺望を楽しみに) 
 2019年4月21日(晴れ) 快晴   336名   

   大津駅~島ノ関~常夜灯~大津警察署前~京阪電車踏切~びわ湖文化館前~なぎさ公園~常夜灯
 ~サンシャインビーチ~由美浜~膳所城趾公園~唐橋~唐橋公園(B・C班昼食)~イオンモール草津(A班昼食)
 ~湖岸新浜~十禅寺川橋~矢橋信号・浜街道~矢橋中央交差点~南草津駅

 300人を越えるウオーカーが大津駅前広場に集結。受付は長蛇の列。パスポートの押印と地図、ビワイチマップの配布。準備体操の後、班毎の集合写真を撮りました。
 10時前に、キャッフィーと信号横のチューリップに送られてスタート。
 30m道路を下り、島ノ関の中央小学校前を通り、常夜灯を左に見て、京阪電車の打出浜踏切を越え、琵琶湖文化館の前に出ました。
明智光秀の弟である左馬之助が湖水を渡った所を示す立て札がありました。

 次は、なぎさ公園からサンシャインビーチを歩きます。気温は上昇し、汗ばむ陽気になりました。湖西の山々や三上山はかすんで見えます。ピンクの芝桜がきれいです。琵琶湖では、キンクロハジロやオオバンが泳いでいます。
 湖岸では、釣りを楽しむ人、サイクリングを楽しむ人、気持ちよさそうにサクソフォーンを奏でる若い女性の姿もありました。ドラッグゆたかのウオーキング大会の参加者にも出会いました。また、記念写真に収まるカップルの姿もありました。各人それぞれが今を楽しんでいるようです。
 膳所城趾公園で休憩の後、大津花フェスタの会場の側を通りました。家族連れで賑わっていました。ボート部の学生が赤や黄色の長いボートを出していました。唐橋を渡ります。向かい風でした。B班とC班は唐橋公園で昼食です。
 チューリップを横目に湖岸を暫く歩くと、イオンモール草津が見えてきました。A班はここで昼食です。
 さざなみ街道を歩き、新浜の信号を右折し、新浜町から矢橋町の住宅地を歩きます。鞭崎神社の近くを通り、矢橋中央交差点を渡り、15時過ぎには全員が南草津駅にゴールしました。本日は、初夏を思わせる好天気に恵まれました。お疲れさまでした。

 次回の「琵琶湖一周健康ウオーキング② 南草津駅~守山駅18km」は5月19日(日)南草津駅9時30分集合で実施します。
 皆様多数の参加をお待ちしています。

  
     開始式 会長挨拶                A班のみなさん

  
     Bー1班のみなさん                   Bー2班のみなさん

  

       Cー1班のみなさん                   Cー2班のみなさん

  
       入念に準備体操             チューリップに送られて出発!

  
      島ノ関・中央小学校前で列詰め           石場の常夜灯

  
  明智左馬之助 湖水渡りの場所        なぎさ公園の常夜灯

  
         由美浜で休憩               芝桜に目をやりながら歩く
 
  
                      由美浜で休憩                  

  
       膳所公園で休憩              唐橋公園で昼食(B・C班)

ヴューポイント

明智左馬之助  湖水渡り
 
 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。光秀の弟左馬之助光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中、打出浜より路を湖水に求め、愛馬にまたがりびわ湖を渡り、坂本に帰った。
 しかし時すでに遅く、秀吉の軍勢に囲まれ、6月14日、光秀の妻女らとともに、城と命運をともにした。
 湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語りつがれている。.

鞭崎八幡宮(むちさきはちまんぐう)

奈良時代中期に大中清麻呂が創建したと伝わる。表門はもともと膳所城の南大手門であり、国の重要文化財。祭神は応神天皇外三柱。社名は、源頼朝が上洛の途上で矢橋を通り、鞭にて神社の森を指し、その神名を尋ねたことによると云われています。江戸時代に代々の膳所城主から厚い保護を受け、表門は明治4年の膳所城取り壊しに際し、ここに移されました。 








 
     大津なぎさウオーク(歴史の道を歩こう) 12km   記        2019年4月16日(火) 快晴   152名   

   大津駅(集合)~三井寺 ~ 近江神宮 ~ 大伴神社 ~ 石仏 ~ 古墳群 ~ 滋賀里 ~ 唐崎駅(解散)

  大津駅前広場には、いつもより多くの参加がありました。会長のあいさつ、コ-ス説明の後、完歩賞の授与がありました。大津駅前を出発し、日赤の前を通り、長等から疏水を三井寺に向かって歩き、三尾神社を左に見て、三井寺山門をくぐり、いつもの土産店の前で休憩です。
 
疏水の桜は見頃を過ぎていました。次に、円満院を抜け、県道に出ました。
 市役所、錦織を経て11時に近江神宮到着。参拝した方もおられました。境内は多少ひんやりした空気が流れていました。
 短い地下トンネルをくぐり、県道の側道を歩きます。
志賀小学校を右に、しばらく坂が続きます。南志賀廃寺跡から西大津バイパスの高架下をくぐり、大伴黒主神社で一休み。
 バイパスの側道をしばらく歩き、12時前に桐畑古墳に到着。昼食です。

 赤やピンク、白のシャクナゲがとても美しく咲いていました。高台なので、青い空とびわ湖がとても美しく見え、カメラに治める方もおられました。青空の下、花に囲まれての昼食は最高です。みなさん、話が弾んでいたようです。
 帰りは坂を下り、滋賀里駅前に出ました。県道を少し歩き、踏切を越え、唐崎駅には13時半頃に着きました。
 本日は、アップダウンが多かったですが、一日好天気に恵まれ、汗ばむ陽気の中、春爛漫の青空の下、山辺の道を気持ちよく歩くことができたのではないでしょうか。
 次回は、「びわ湖一周健康ウオーキング2019① 大津駅~南草津駅 16km」(近江八景と眺望をたのしみに)を4月21日()大津駅9時30分集合で実施します。
 皆さま多数の参加をお待ちしています。

  
   
 小島会長より完歩賞の授与               三井寺疏水の桜

  
      
 三井寺で休憩              チューリップに目が止まりました

  
       近江神宮で一休み                 南志賀廃寺跡

  
      大伴黒主神社にお参り              少し山道を歩きます

  
      滋賀里の山辺の道を歩く       春を象徴しているかのような一本桜

  
     絶景:青い空と水色のびわ湖と桜       真っ赤なシャクナゲに目を奪われました

  
    しあわせだな!花に囲まれてのランチ      色鮮やかなシャクナゲ(県花)

  
      お腹もふくれ帰りの準備           桐畑古墳内部のお不動さん

ビューポイント

近江神宮

 天智天皇は667年に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節に当たる1940年(昭和15年)の11月7日、天智天皇を祭神として創始されました。

大伴黒主神社

 大伴黒主は、大友皇子(弘文天皇)の皇子で大伴性を賜ったという大伴与多王の子孫と伝えられています。大友の名は、当地の旧名滋賀郡大友郷に由来します。
 大伴氏はこの大友郷を本貫とする氏族で、黒主も滋賀郡司を務めたことがあって、「滋賀の黒主」とも称されていました。また、園城寺(三井寺)の神祠別当職を務めました。
 黒主は平安初期の代表的歌人で、いわゆる六歌仙の一人として知られています。917年宇多天皇の石山寺参詣の際、「さざら浪 間もなき岸を洗ふめり なぎさよくば 君とまれかし」と歌って大いに賞賛されたといいます。
 晩年の黒主は志賀山中で亡くなったと伝えられ、没年は明らかではありません。

唐崎

 唐崎と云えば近江八景の一つ、「唐崎の夜雨」に詠まれる唐崎の松が有名ですが、縄文・弥生時代の古代から人が住み着いた歴史があり、複合遺跡の宝庫になっています。

滋賀里遺跡

滋賀里周辺からは、古くから土器や石器が出土することが知られていました。
 昭和46年には、湖西線建設に伴い大規模な調査が行われ、以後も継続的に行われ、縄文時代の墓地や貝塚、弥生時代の方形周講墓、古墳時代から奈良・平安時代の集落等が見つかっています。
 縄文時代の墓地では、地面に穴を掘って、直接遺骸を埋葬した土抗墓や、土器の中に埋葬した甕棺墓が100基以上発見されています。
 滋賀里遺跡から多く出土する土器群は「滋賀里式」と呼ばれ、近畿地方の縄文時代晩期(約3000年前)の時代を決める基準の土器となっています。

熊ヶ谷古墳群

 後期古墳時代の円墳。9基の古墳からなり、内7基が横穴式ドーム形。最大規模(墳丘の直径は約20m)の古墳は桐畑古墳と呼ばれています。

山中越(志賀越)の道祖神

 山中越は、京都と近江を結ぶ古くからのルートのひとつです。
 滋賀里から崇福寺跡・志賀峠を通り、山中町を経て北白川、京都へと通じています。この一帯は比叡山延暦寺に近く、東海自然歩道になっています。
 
崇福寺に続く山道の入り口に、山中越(志賀越)の道中安全を見守る道祖神があります。とても優しい顔の仏さまは、「志賀の大仏(おぼとけ)」と呼ばれる阿弥陀如来座像。13世紀頃(室町時代)に作られた高さ約3mの石仏です。地元の方がよくお参りさているようで、お堂はいつも清潔で心地よいです。お供え物もあり、京都側でも、山中越が現在の今出川通りと交差する辺りに石仏が数体置かれています。

百穴古墳群

 大津市の西部、比叡山の東麓一帯には、総数1000基を越えるともいわれる古墳が密集しています。これら古墳の多くは、6世紀後半から7世紀前半に集中して作られ、石室の形や出土している副葬品などから渡来人の墓と言われています。
 「百穴」という名前は、石室の入り口が穴のように沢山見えていることから名付けられました。このような古墳が一面に広がり、薄暗い竹林と相まって、壮観な風景を見ることができます。石室の天井がドーム状なのが、百穴古墳郡の特徴です。現在は64基確認されており、すでに石室を覆っていた盛り土が流失してしまった古墳の石室の天井石が点々としています。

 

 

 




     中山道(登山道)番場宿と鎌刃城跡  13km   記        2019年4月13日(土) 晴れ   121名   

                  米原駅(集合)~番場~鎌刃城跡~米原駅(解散) 
 天候に恵まれ、100名を越える参加がありました。米原駅前を出発し、番場まで平坦な道を歩きました。
番場では、きれいなトイレを使用でき、好評でした。

 番場からは、今日のメインである鎌刃城跡に登ります。健脚コースだけあって、砂利の坂道を40分位かけて登りました。
 昼食を食べて、今度は下山です。スタッフが上手と下手でロープを持ち、それに伝って慎重に降りていきました。「ホッとした。」「楽しかった。」との感想がありました。
 次回、4月16日(火)は、「平日ファミリー大津なぎさウオーク(歴史の道を歩こう)」(大津駅~唐崎駅 約12km)を大津駅9:30集合で実施します。
 皆様多数の参加をお待ちしています。

  
         米原駅に集合                          かつての番場宿
    
  
       石碑 「中山道番場宿」                 6軒あったという「問屋跡」の標識

  
 脇本陣だった所 「明治天皇番場御小休所」の碑がある      忠太郎地蔵がある蓮華寺

  
           鎌刃城跡案内板                     いよいよ鎌刃城に登る
 
  
            鎌刃城大手口                  小高い丘を登り主郭に到着

  
            虎口からの主郭                       見張り櫓
  
           展望台からの眺め                      頂上で昼食タイム
 
  
         これから下山です                          大堀切り

ビューポイント

番場宿(米原市番場)

 
 古代の東山道が通り鎌倉時代から交通の要衝として栄えてきました
.。江戸日本橋から数えて63番目の宿駅です。宿村大概帳によると、宿高559余石、町並1町10間余、人口808人で、宿場の規模は、家数178、本陣1,旅籠10がありました。民家の町並みは短く、多くの家は建て替えられ昔の面影はありませんが、山間ののんびりした風景が残る所です。

 広重の浮世絵は、宿の東の入口より、石垣の上に築いた土塁と生垣の東見附が描かれ、宿を覗き込むような構図になっています。

蓮華寺

 聖徳太子が建立したと伝えられる古刹で、本堂裏手には「番場の忠太郎」に因んだ地蔵があり、架空の人物像や墓があるのは珍しいことです。
 また、境内には「太平記」にみられる1333年(元弘3)京の戦いで敗れた六波羅探題(北方)北条仲時一行432名が、京極道誉に行く手を阻まれ自害した地です。

番場の忠太郎 


 旅姿の忠太郎は、長谷川神の戯曲「瞼の母」の主人公で、今も多くの人に親しまれる架空の人物で、番場生まれのやくざ。五歳の時に生き別れた母を捜しに旅に出ます。江戸柳橋の料理屋水熊の女将おはまが母とわかりますが、おはまは名のらず、忠太郎は母への思いを胸に再び旅立ちます。昭和6年の初演以来、舞台、映画、テレビなどで数多く上演されています。

鎌刃城跡   
 
標高384m。京極氏と六角氏の攻防や織田信長と浅井長政の攻防の舞台となった戦国時代の山城。戦国武将堀氏の居城として湖北支配の拠点ともなりました。石垣、堀切、曲輪などが見事に残り、国の史跡に指定され、その遺跡の規模は湖北でも最大級です





 


 
     海津大崎観桜の道  12km        記
2019年4月10日(日) 雨   26名   

 マキノ駅(集合)~湖のテラス~土肥費佃煮店~宝しょう院~清水の桜~西浜・知内浜水辺景観地区~海津大崎湖岸緑地~海津大崎(昼食)~大崎寺(海津大崎)~トンネル~二本松~大浦~永原駅(解散)

  朝から雨模様。9時27分と9時50分着の電車で参加のみなさんが来られた。
 コース説明と体操の後、10時15分にマキノ駅を出発。傘をさしてのウオークとなった。湖のテラスの横から湖辺の道を少し歩き、いつもの湖魚の佃煮店に立ち寄る。今日のびわ湖は波が打ち寄せている。ここから対岸の海津大崎の桜が見えている。1パック200円の佃煮をいくつも買い求める方が多かった。
 海津浜の石積みを見て、金ぴかの神社の横を通り、国道を横断し、真言宗の古刹である宝しょう院を訪れる。ぬかるみの道を歩いて、次は、電車からも見える清水の満開の桜を愛でる。
 12時前に海津大崎に着く。桜は満開だが、いつものような賑やかさはない。観光バスも少ない。雨なので昼食場所を心配したが、少人数だったので、土産物店の軒先で摂ることができた。
 午後は、12時20分に出発。五つのトンネルを越え、右に竹生島を見ながら暫く歩く。花見船が見えたが、客はあまり乗っていない。雨は小降りになってきた。

 ずっと満開の桜を見ながらのウオーク。途中休憩して、大浦まで歩を進める。大浦から永原駅までは、川沿いの道を歩く。土手には、水仙が咲き、細い土筆が少し見られた。
 14時前に永原駅に着く。本日は、雨の中のウオーク、お疲れさまでした。

 次回は、4月13日(土)「中山道(登山道)番場宿と鎌刃城跡」13kmを米原駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。

  
         永原駅の改札で                         海津浜の石積み

  
         金ピカの神社                             宝しょう院

  
        ぬかるみの道を歩く                     清水の桜を見上げるみなさん

  
     清水の桜を愛でる                     海津大崎の桜

  
         義経の隠れ岩                   土産物店の軒先で昼食を摂る

  
                              大崎寺からの眺め

  
          客を待つ花見船                         忠魂碑の桜
 
 
ビューポイン

義経の隠れ岩

 義経の隠れ岩海津大崎の少し手前の湖岸にあります。義経が兄の頼朝に追われる身となり、奥洲平泉に逃れる時、この岩に隠れたと言われています。海津付近に上陸し、一時身を隠して北国へ逃れていったことは謡曲「安宅」の一節に謡われています。

海津浜の石積み

 海津大崎の付け根から南へ、切石を整然と重ねた石積み護岸が約1、2kmに渡って伸びている。高さは2、5~3m。季節風や台風で生じる大波に苦しむ湖岸の人々のために18世紀初め、この地を治めていた代官によって築かれた。    


    





 
     観桜の道 小関越え 16km        記
2019年3月31日(日)216名 晴れ時々曇り  

     大津駅~長安寺~長等公園~小関越え~藤尾~一燈園~天智天皇山科御陵~日ノ岡~南禅寺~蹴上駅

 朝から風が冷たく寒い日になりました。満開の桜を見ようと、たくさんのみなさんが参加してくださったのですが、残念ながら、疏水べりの桜は、まだ蕾の状態の二分咲きで、南禅寺に行くと、七分咲きでした。4月10日の海津大崎の桜を期待しましょう。今日はお疲れ様でした。次回は4月5日(金)の歩育「大津中消防署の見学」です。大津駅に10時集合です。6kmを歩きます。

   
      大津駅に集合のみなさん                    途中コンビニ前で一休み

   
        70年の時を経て蘇った疏水船                     小関越え

   
             休 憩                              疏水船に手を振る                
 

   
       疏水に架かる橋を渡る                        橋の真下を疏水船が通る

   
      春を感じる菜の花が咲き乱れる                  山科の国道横を歩く 

   
          毘沙門堂に参る                      南禅寺の桜はどうかな
   









里山シリーズ⑯ ヤマオヤジとメタセコイヤ並木 14km    記
 2019年 3月24日(日) 96名  みぞれ後くもり    

        マキノ駅~知内川~寺久保~ピックランド~メタセコイヤ並木~ヤマオヤジ
       ~マキノ高原
~知内川~マキノ駅

 マキノ駅に近づくにつれ、車窓から見える景色は白い山と雪。マキノ駅から知内川に沿って歩きました。ピックランドで昼食です。林の中に咲いているうすいピンク色のかたくりの花を見つけました。
 メタセコイヤの木は、まだ新芽をつけていませんでした。今日は、寒かったですが、ゆっくりと自然を満喫できたウオークでした。
 次回は、「観桜の道 小関越え 16km 大津駅~京阪蹴上げ」を3月31日(日)大津駅
9時30分集合で実施します。
皆さま多数の参加をお待ちしています。

  
         マキノ駅に集合                           寒空の中を歩く

  
           雪化粧の山                               マキノ高原にて

  
           マキノ高原にて                        メタセコイヤ並木

  
        メタセコイヤ並木を歩く                   ヤマオヤジ

  
        クヌギ(実はどんぐり)                       地中から新芽が

ビューポイント

ヤマオヤジ

 薪の材料になる、こなら、くぬぎ(実はどんぐり)の木が大きく生長し、株が太くなっている様子をヤマオヤジに例えている。

  くぬぎの実は、花の翌年の秋に成熟する。もじゃもじゃの太毛にかこまれていて、普通のドングリとはちょっと雰囲気が違う。材は薪炭(しんたん)として利用される。樹液はクワガタの好物。“国の木”「国木(くにき)」から「くぬぎ」になったらしい。




 


 
平日ファミリー大津なぎさウオーク(梅の香りに導かれ)大津駅~石山駅 12km   記
 2019年 3月19日(日) 曇り124名    

    大津駅~お祭り広場~なぎさ公園~サンシャインビーチ~膳所城跡公園~螢谷公園~石山寺~石山駅  
 
 いつものように、会長あいさつ、コース説明、準備体操の後、9時50分に大津駅を出発。30m道路を下る。今日は、風が強くなく、歩きやすい。お祭り広場からは、ずっと湖岸に沿って歩く。水鳥が気持ちよく泳いでいる。
 プリンスホテルを過ぎ、サンシャインビーチ近くの水再生センターに、マンホールカードをもらいに何人か行かれました。湖岸では釣りを楽しむ人の姿がありました。
 
 膳所城址公園に11時頃に着く。11時40分まで昼食。休憩時、人だかりがしています。何と、お堀にネズミを大きくしたような奇妙な生き物を発見。ヌートリアだそうです。初めて見た人も多かったのではないでしょうか。

 粟津の青嵐を過ぎ、琵琶湖がだんだん狭くなり、唐橋から瀬田川に沿って「ぐるりん散歩道」を歩きます。螢谷公園で休憩した後は、石山寺まで歩を伸ばします。1時前にゴール。 雨に遭わなくてよかったですね。IVVを配った後、石山駅まで中の道を歩きました。
 今日のウオークは暑くもなく、寒くなく歩きやすかったのではないでしょうか。

 次回は、「里山シリーズ⑯ ヤマオヤジとメタセコイヤ並木 マキノ駅~マキノ駅14km」を3月24日(日)マキノ駅9時30分集合で実施します。
 皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
         入念に準備体操                         サンシャインビーチで休憩 

  
                            粟津の晴嵐付近を歩く

  
        近江大橋が見える                    びくともしないヌートリア(膳所城趾公園で)

  
   螢谷貝塚(車道より50cm程高くなった歩道部分)           石山寺にゴールイン

 

ビューポイント


名勝 粟津の晴嵐
 実在の「近江八景・粟津の晴嵐」は、旧東海道沿い(現在の粟津から石山鳥居川付近)の500本を越えた松並木が、晴れた風の強い日、嵐のように枝葉がざわめく様を風情豊かに表したもの。現在は、当時の面影はほとんど残されていないことから、平成10年、琵琶湖に面したこの地に、当時の名勝の復活を祈念し、松の植栽をしている。

ヌートリア

 1905年(明治38年)上野動物園へと持ち込まれたなが初めて。昭和になって大量に飼育された。1939年(昭和14年)のフランスからの輸入などによって大規模な飼育が始まる。戦前は、軍用の毛皮目的。戦後は食料と輸出用毛皮が目的。
 ヌートリアは、西日本を中心に、今では関東や東北にも進出。農作物を食い荒らしたり、また、水鳥にとって大切な食料源である水際の植物を食べつくしてしまうので特定外来生物の指定を受けている。 

螢谷貝塚

 瀬田川の右岸、国道422号を下った瀬田の唐橋と石山寺の間の山側に車道より50㎝程高くなった歩道部分がある。実はこの周辺は、縄文時代の貝塚が広がっていて、その貝塚を保存するために土が盛られている。ここは螢谷貝塚と呼ばれ、石山貝塚に続き、今から約6,300年前につくられた貝塚。








 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑭ 南草津駅~大津駅 16km   記
 2019年 3月17日(日) 雨 時々曇り 257名   

 受付の途中から雨が降ってきた。雨に濡れながらの準備体操になった。キャッフィーと一緒に集合写真(A、B、C班)を撮ってから、雨の中をスタート。

 A班は膳所城趾公園で昼食。B、C班は唐橋公園で昼食。C班は昼食時に雨が降ってきた。スタンプポイントは大津港。
 ゴールの大津駅ではキャッフィーがお出迎え。集合写真を撮ってから、全員に缶バッジ、14回完歩した人には、完歩賞状と名前入りキーホルダーを、また、 琵琶湖を3周完歩した人にはシルバー賞を、5周完歩した人にはマスターウオーカー賞をお渡ししました。
 本日は悪天候の中、お疲れ様でした。4月からは2019年度の琵琶湖一周健康ウオーキングが始まります。
 次回は、里山シリーズ⑯「ヤマオヤジとメタセコイア並木」を3月24日(日)(マキノ駅~マキノ駅14km)マキノ駅9時30分集合で実施します。
 
皆様にお会いできることを楽しみにしています。

  
        集合場所の瀬田南駅前広場                     小島会長あいさつ

  
      雨の中の準備体操                            A班のみなさん

  
          B班のみなさん                             C-1班のみなさん

  
          C-2班のみなさん

  

  
                                鞭崎八幡宮

  
            鞭崎八幡宮

  

  
                                              大津港付近を歩く

  
           A班が大津駅にゴールゴール              完歩賞などを受け取るみなさん

  
         キャツフィーが来てくれてよかったね       キャツフィーと記念写真 A班のみなさん

  
      キャツフィーと記念写真 B-1班のみなさん    キャツフィーと記念写真 B-2班のみなさん

  
    キャツフィーと記念写真 C-1班のみなさん      キャツフィーと記念写真 C-2班のみなさん

ビューポイント

鞭崎八幡宮(むちさきはちまんぐう)

 奈良時代中期に大中清麻呂が創建したと伝わる。表門はもともと膳所城の南大手門であり、国の重要文化財。祭神は応神天皇外三柱。社名は、源頼朝が上洛の途上で矢橋を通り、鞭にて神社の森を指し、その神名を尋ねたことによると云われている。江戸時代に代々の膳所城主から厚い保護を受け、表門は明治4年の膳所城取り壊しに際し、ここに移された。 

 






 
 生水の郷を訪ねて 15km    記
 2019年 3月10日(日) 曇り後雨  51名   

 新旭駅~安井川団地~スポーツ公園~熊野本~日爪~小屋~五十鈴川~湖周道路~深溝~針江~松の花~新旭駅

 リニューアルされた新旭駅に集合。会長のあいさつ、コース説明、準備体操の後、1010分に出発。熊野本を山に向かって歩く。最初に新旭スポーツ公園でトイレ休憩。風がないので歩きやすい。古刹の大泉寺に着き、見学。

 大泉寺は、天台宗延暦寺末に属し、康保2年(965年)慈恵大師によって創建され、本尊の如意輪観音も大師の作と伝えられている。寺域には大師の産湯を汲んだという霊泉があり、大泉寺の名もこれに由来している。元亀2年織田信長の兵火により堂宇は焼失。元禄7年に小浜藩酒井忠登によって再建された。毎年9月3日に大師の誕生会が行われる。
 やがて
坂道になり、日爪地区に入る。若宮八幡社に11時20分到着。雲行きが怪しくなってきたので、ここで早めの昼食タイムとなる。

 スタート前に雨がぽつぽつ降り出す。だんだん本降りとなり、傘をさしてのウオークとなる。田んぼを見遣り、針江地区を目指す。針江川の水は美しく、緑や黄緑のバイカモが揺れていた。以前来たときは、鮎の群れに驚かされた。水路では鯉が泳いでいた.。「おさかな旭」に立ち寄り、休憩。新鮮な湖魚の佃煮を買い求める方もおられた。
 最後は、「松の花」で有名な川島酒蔵に寄る。

社長さんの熱弁を聞いた後、中に入り試飲。店内には、創業者の描いた油絵がたくさん展示されていました。大吟醸や原酒、にごり酒など、みなさん、舌鼓を打っておられた。お気に入りのお酒を買い求め、ほろ酔い気分で駅に向かう。本日は途中雨が降る中のウオークでした。お疲れ様でした。
 次回は、3月17日(日)に30年度最後の「琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑭南草津駅~大津駅16km」を実施します。南草津駅に9時30分集合です。
 皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
    受付風景 新旭駅で   七川祭り(的練り)と竹馬祭を現しているモニュメント

   
    小島会長のあいさつ            参加されたみなさん

  
 熊野本遺跡群とその周辺  浅井・朝倉氏か西佐々木氏の影響を受けて改修された可能性が高い日爪城跡

  
         大泉寺                     若宮八幡社

  
      若宮八幡社で昼食               川端(かばた)の町 針江地区

  
         バイカモ                     水車

  
壺池に夏野菜などを浸けておくと冷えすぎず美味しい 野菜屑や飯粒を鯉に食べさせることで水を汚さない

  
「外カバタ」元池の鉄管からの湧き水が壺池へ流れている       川島酒蔵

  

         社長さんの話を聞く                             試飲風景

 ●ビューポイント●

熊野本遺跡群

熊野本高地性集落

  熊野本遺跡は、饗庭野台地と呼ばれる丘陵上、標高約150mの高台に立地する高地性集落です。出土した土器から、今より約2000年前、弥生時代の遺跡と推定されています。丘陵上からの眺めはたいへん良く、安曇川によって形成された平野や琵琶湖まで一望することができます。平野には「針江遺跡群」と呼ばれる弥生時代の集落跡があります。

熊野本古墳群

 熊野本高地性集落に隣接する北側の丘陵を中心に立地しています。古墳の形や規模などから、湖西地域の代々の首長を埋葬した古墳群と考えられています。これまでに38基の古墳が確認されており、円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳の、基本的な形の古墳が揃っています。とりわけ、平成12年に発掘調査が行われた6号墳は、全国でも最古期の前方後円墳として注目されています。

近江日爪城

 日爪城は、戦国時代に日爪市によって築かれたと云われている。この地は、砲煙4年に成立した山門領木津荘で戦国時代は饗庭荘と呼ばれ、饗庭氏の西林坊・定林坊・宝光坊の三坊に分かれ、日爪は西林坊が領した。貞治6年に日爪為冶を地頭代として日爪に住まわせたと伝えられている。

 元亀3年、織田信長の命を受けた明智光秀は、饗庭三坊の三つの城と城下共に放火し、攻略しており、この一つが日爪城であったと推定されている。

若宮八幡社


祭神は仁徳天皇。5月5日に子どもが馬の代わりの竹馬にまたがり、流鏑馬などの神事を奉納する「竹馬祭」で知られる。

針江 生水の郷(しょうずのさと)

 針江地区は、日本でも珍しい水の文化があります。比良山系に降った雪、雨が伏流水となり、各家庭から非常にきれいな水がコンコンと湧き出ます。針江では湧き出す水のことを生水(しょうず)と呼んでいます。人々はこの自噴する清らかな水を飲料や炊事といった日常生活に利用しています。このシステムをこちらでは川端(かばた)と呼んでいます。
 このような究極なエコの生活、美しい景色、地域の人とのふれあいなどを求めて日本全国、海外よりたくさんの人が見学に見えます。
 針江集落は、湖西地域で最大の安曇川下流の扇状地左岸に位置し、集落面積は田畑、居住区を含め約150ha、戸数170戸余り、地区のほぼ中央に針江大川が流れています。地区の大方の家では10~20m前後打ち込んだ鉄管より、四季を通じて水が湧き出ています。

西近江の地酒 松の花 【川島酒造株式会社】

 創業慶応元年(1865年)

 湖西路は、比良連峰を遥かに望む風光明媚な土地柄、清酒 松の花はこの恵まれた自然の中で創業以来140年余り造り続けている。松の花の由来は、創業時、酒蔵建造のため伐採した古い松に対する忍びがたい思いを込めて『松の花』と銘々。


 


  

  総会ウオーク  中山道 草津から野洲へ 12km   記
 2019年2月24日(日)晴れ    141名   

       草津駅~伊砂砂神社~八幡神社~大宝神社~今宿一里塚~守山宿~野洲駅

 朝から四月を思わせる好天気に恵まれ、絶好のウオーキング日和になりました。

草津の中心部の細い道を抜け、やがて栗東市へ入りました。大宝神社に10:30頃に着き、休憩。
  大宝神社境内社の追来神社本殿と木造の狛犬は鎌倉時代の建築で重要文化財。京都国立博物館に保管されている。
 守山市に入りました。「焔魔堂町」信号手前に「十王寺」。「小野篁」開基と伝わっている寺で、焔魔堂町の名前の由来になっている。今宿一里塚の前を通りました。しばらく歩くと「どばし」と書かれたコンクリートの橋が架かっている。ここには、かつて瀬田の唐橋の古材を使った公儀御普請橋が架けられていたそうだ。江戸時代は土橋で、渡ると加宿の今宿になる。どばしの先は寂しい田舎道であったが、今は家が連なった住宅街。「格子戸の家」も散見できる。
 「守山銀座西」信号を過ぎてすぐ左手に「門前茶屋かたたや」がある。天保年間、ここに堅田屋という一軒の門前茶屋があった。170年余り経た平成の時代に堅田屋と同じ場所、同じ建物で再び「門前茶屋かたたや」が誕生。その隣に比叡山東門院守山寺。守山の地名の由来となった寺で、最澄が延暦寺を開いた時、東方の鬼門を守るために建立されたと伝えられている。守山観音と呼ばれる。中山道街道文化交流館の前にきました。館内には「木曽海道六十九次」の版画が全て展示されている。
 
向かいの広場で昼食休憩です。その先に「宇野本家酒造跡」。
色鮮やかな「7段のひな飾り」や宇野氏が収集していた「こけし」や「盆梅」「押し花作品」も展示されていて、鑑賞された方も多かったようです。

 午後は、野洲川橋を渡って野洲駅に向かいました。 コミュニテイセンターやすには12時50分頃到着。
午後1時30分から当センターで総会が開催されました。本日はお疲れ様でした。

 次回は3月10日(日)に「生水(しょうず)の郷を訪ねて11km 新旭駅~新旭駅」を新旭駅9時30分集合で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。

  
        草津駅東口広場からスタート                     受付風景


  
       小島会長のあいさつ                          準備体操


  
         追分道標と草津川マンボ                  旧中山道(草津市渋川)


  
    渋川村の氏神である伊砂砂(いさざ)神社            牛頭天王を祭神とする大宝神社


  
  大宝神社   処刑される我が子に会うべく馬淵を目指した母が、既に処刑された事を知り、池に身を投げた


  
   小野篁作と伝えられている閻魔大王           現存するただ一つの今宿一里塚


  
   寂しい田舎道だったが今は住宅街                「どばし」と標示された橋をを渡る


  
     昔も今も同じ場所にある「かたたや」       東方の鬼門を守るために建立された「東門院仁王門」

  
           守山宿街並み    道標「右中山道ならびに美濃路」 「左錦織寺」延享元年(1744年)霜月


  
        中山道文化交流館                         昼食風景


  
     裏の薬師堂内に「源内の首塚」がある            天保4年(1833年)以前の古井戸


  
 小宮山九右衛門本陣があった場所と推定されている            町屋 うの家


  
         一際目立つ「七段のひな飾り」               宇野氏が収集した「こけし」の展示


  
    「帆柱観世音」は慈眼寺のご本尊      近江国景勝80ヶ所の一つとして紹介されていた吉水(現吉見)


  
  うまじいそべ神社 「白鳳3年(675年)の創祀」       かつては「近江太郎」と呼ばれたほどの暴れ川


  
  鎌倉時代に建立された背くらべ地蔵  朝鮮通信使が通った道。近江八幡を経由して鳥居本まで約41km。
  
     定期総会 小島会長のあいさつ                 総会出席者のみなさん

ビューポイント

守山宿

 守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。1642年、守山宿は、徳川幕府により、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。中山道は東京板橋から守山までの六十七次で守山は最終宿場でした。江戸時代、旅人の一日の行程は八里(約32キロ)から十里(40キロ)でした。京都三条大橋から守山までが八里六町(約84.4キロ)でこの行程にあたる。
 京都から中山道を通って江戸方面に行く(東下り)人たちは守山で泊まりました。このことから「京だち守山泊まり」と呼ばれ、守山は明治維新まで繁栄しました。

今宿一里塚

 一里塚は江戸幕府により1604年に整備されたもので、一里毎に道の両側に五間四方の塚を築き、榎や松を植えて通行の目安としたもの。明治以降、交通形態の変化による道路拡幅や農地、宅地への転用などにより、その殆どは消滅し、現存するものは今宿一里塚のみとなりました。規模は小さくなっていますが、南塚のみ残り、榎が植わっています。

宇野本家酒造跡
 

 この建物は、元内閣総理大臣 宇野宗佑氏が生まれ育った家。宇野本家は江戸時代には荒物屋を営み荒物屋長左衛門と名乗っていました。明治5年から造り酒屋へと変わりました。平成6年にやめ、平成21年に廃業されており、22年に市が譲り受け、23年に改修し、24年1月29日に守山市歴史文化まちづくり館としてオープンしました。


 



 
  平日ファミリー  大津なぎさウオーク(春の訪れを感じて) 記
大津駅~石山駅 12km 
2019年2月19日(火)雨    53名   

     大津駅~県庁東側~国道1号線~膳所駅~膳所神社~膳所城址公園~(旧東海道)~杉浦重剛宅~晴嵐町~石山駅

 朝から雨模様。傘をさしてのウオークになった。県庁の東側を歩き、松本の信号を右折し、国道1号線に出る。国道膳所の高架橋から膳所駅前へ。トイレ休憩。旧東海道を石山方面へ向かう。
 昭和町にある北向き地蔵尊に立ち寄る。地蔵堂から節分の北向き地蔵尊の半年間をNHKが取材、撮影した番組が2月12日午後6時30分からテレビ滋賀6 30で放映されました。次に、膳所神社の境内に入る。お参りした方も多かったです。膳所城址公園には10時55分に着く。
 雨のため、ステージの上や東屋で早い目の昼食となる。出発前に会長から膳所の歴史についての話を聞く。膳所は元々寒村。7万石の城下町としてはみすぼらしいと考えた膳所藩はお金を出資して通りの家々を瓦葺きにしたそうです。今も瓦を焼いた瓦ヶ浜という地名が残っています。(京阪電車駅名 瓦ヶ浜)

 午後は、木下町、杉浦町を通り、石山駅には12時過ぎに到着。
IVVを配布し、解散。本日は雨の中、お疲れ様でした。
 次回は、2月24日(日)に総会ウオーク 「中山道 草津~野洲12km」を実施します。草津駅に9時30分集合です。
皆さま多数の参加をお待ちしています。

   
          大津駅前に集合                     スタートから傘をさしてのウオーク

   
                               北向き地蔵尊

   
                              膳所神社

    
          ステージの上で昼食                       そろそろ出発

   
            会長から昔の膳所について話を聞く            膳所城の模擬石垣

   
        波打ち際に残っている膳所城の石垣            瓦屋さんを見付けました

   
            杉浦重剛旧宅                  赤埴(あかはに)勝政邸址(現疋田邸)
 

ビューポイント

北向き地蔵尊

 参拝客が多く、線香の煙が絶えず漂っているそうです。社の中に本尊。それを取り囲むように四方に地蔵が置かれています。北向き地蔵は、合格祈願や快癒など、様々なことに御利益があるようです。西側には井戸水があり、その水で薬を飲むと病気に効くらしいです。本尊は目をつぶっているため目にも良いと言われています。
 北向き地蔵尊は、西暦1200年頃からこの地に鎮座しているそうで、800年間も人々を救済してきたという歴史の長い地蔵です。

杉浦 重剛

 安政2年3月3日(1855年4月19日)~大正13年(1924年2月13日)明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。父は膳所藩の儒者杉浦重文。

 若き日の昭和天皇、秩父宮擁仁親王、高松宮宣仁親王の三兄弟に帝王学の一環として倫理を進講する。東京大学在学中の明治6年には、明治天皇への御前講演に選ばれ、理化学の実験を行う。明治9年、文部省派遣留学生に選抜されて渡欧。化学を専攻。明治13年帰国。27歳で文部省と東京大学に勤める。その間、東大予備門(のちの一高)校長にあり、また、東京英語学校(後に日本中学に改称)創立の中心の一人となる。

 後に、読売・朝日新聞の社説の担当となり、三宅雪嶺、志賀重昴らと政教社発行の「日本人」や新聞「日本」の刊行に尽力する。それらによって国粋主義を主張し、当時の社会に影響を波及させる。明治22年3月に文部省を非職。同年には日本倶楽部をつくり、大隈重信の不平等条約改正案に反対する。小石川区議員を経て、翌年明治23年第1回衆議院議員総選挙に大成会から出馬し当選。しかし翌年に辞職。

  その後は、師弟の養成と共に東京文学院を設立し、以後も國學院学監や東亜同文書院院長、東宮御学問所御用掛などを歴任。「本校は帝都の第一中学であるのみならず、帝国の第一中学である」など、講演にても国家の権威を高めることに尽力した。

赤穂義士 ゆかりの屋敷 お鉄餅

 膳所にゆかりの物語が二つあります。「膳所昔話」によると、ひとつは、講談であなじみ「赤垣源蔵徳利の別れ」に因む話です。赤垣源蔵といえば討入りの直前、徳利を提げて兄に別れを告げに行くものの、兄には会えず、兄嫁からも冷たくあしらわれて、やむなく兄の着物に向かってひとり酒を酌み交わす。そんなシーンが有名ですが、その赤垣源蔵のモデルとなっているのが、膳所藩に叔父がいた赤埴(あかばね)源蔵です。

 昔話によれば、討ち入りの1年前、源蔵は江戸に下る途中、叔父の赤埴所左右衛門の屋敷のそばにあった餅屋に立ち寄り、なぜか餅屋にこの風呂敷を叔父に渡してほしいと伝えたそうです。その風呂敷には麻の裃があり、形見として届けたものだということです。膳所の赤埴家の屋敷があったところには現在、山元春挙の弟子である日本画家の疋田春湖さんの家が建てられて、今では春湖さんの子息と春湖さんの孫で書家の疋田惜陰さん一家が住んでおられます。
  もうひとつの昔話は、膳所の赤埴家の屋敷の図面を、恋人で大工の棟梁の娘から手に入れる逸話が出てきますが、実は岡野金衛門の恋人は餅屋の娘で美人のお鉄(てつ)さんだったという話です。お鉄さんの餅はお鉄餅としてずいぶん評判だったそうですが、討ち入り後、お鉄さんの消息は知られておらず、琵琶湖に身を投げたとも言われています。

 

 



 
  冬の酒蔵巡り       記
三雲駅~石部駅 12km 
2019年2月11日(祝・月) 112名   

             三雲駅~弘法杉~北島酒蔵~石部まちづくりセンター~竹内酒蔵~石部駅(解散)

  三雲駅から旧東海道を西へ。真っ直ぐ伸びた街道は、旅人たちの足音が聞こえてきそうな、風情ある旧東海道です。午前中は小雪が舞っていましたが、午後からは小雨に変わりました。北島酒蔵では、新酒の香りが漂い、出来たての日本酒を味わうことができ、みなさん上機嫌でした。石部まちづくりセンターでは、水口の酒蔵「福娘」の販売の他、大学いもや人忍パンの販売もありました。
 竹内酒蔵では、大勢の客が観光バスで立ち寄り、賑わっていました。いろんな種類のお酒が試飲でき、また、テントでは、焼き鳥や麺類、地域の物産品が並び、酒の肴として美味しそうに食べている人も多かったです。本日のウオークは、みなさん、満足な様子でした。14時過ぎに解散になりました。
 次回は、「平日ファミリー大津なぎさウオーク(春の訪れを感じて)大津駅~石山駅12km」を2月19日
(火)大津駅9時30分集合で実施します。みなさま多数の参加をお待ちしています。


  
       受付風景(三雲駅前)               さあ 出発!

  
   大沙川の堤防の上に聳えている弘法杉  弘法大師(空海)が祀られている小さな祠

  
       旧東海道を歩く                  北島酒蔵に到着

  
     新酒の香りに酔う                水琴窟

  
      出来たての日本酒に舌鼓             思わず笑みがこぼれる

  
           石部まちづくりセンター・福娘の試飲を楽しむ 

  
         梅の花が満開               新酒を求めて長い行列

   
          いろんなお酒が並ぶ竹内酒蔵            顔がほころぶ本日のウオークでした

   
            東見附跡                             石部の一里塚跡

   
          小島本陣跡                          宿場の雰囲気が伝わる旧東海道

                         西見附跡                             吉姫神社

 

 ビューポイント

 弘法杉      旧街道を見守り続けた樹齢750年の巨木

 大沙川(おおすなかわ)隧道の上に根を生やしているのが樹高約26m、樹齢約750年の地元では「弘法杉」と呼ばれている大杉。その昔、弘法大師がここを通りかかった際、この場所で食事を摂り、その時に使っていた杉箸を刺したところ、成長してこのような大杉になったという言い伝えからこの名が付けられた。過去には2本並んで立っていたことから二本杉とも言われたが、現在は1本だけが残っている。

 石部宿 

  江戸より51番目の宿場が石部宿。
  石部宿は、京都を朝経つと石部に夕方着くことから「京たち石部泊まり」と言われた。往時には、本陣2軒、旅籠32軒を含む458軒が街道の両脇に1.6キロメートルにわたって建ち並んでいたとか。現在では、本陣跡や高札場などがわずかに残っているだけですが、それでもかつての宿場の雰囲気は伝わってきます。

東見附跡(ひがしみつけあと)

 見附は、桝杉城門の俗称で、番兵が通行人を見張るところから、「見附」といった。宿場の街頭の出入口にも見附が構築されたが、それは土手状のもので、石部宿の場合、東西二カ所にあった。見附の西側には、目見改場が設けられている。

吉姫神社(よしひめじんじゃ)

  創祀年代不詳。御旅所のある上田の地に斎き祀られていたが、明応年度兵火により、これを焼失し、天文三年に現在の地に際祀された。境内には南北朝時代作の木造狛犬や万病に効能あらたかな宮前の湧き水がある。

小島本陣跡(こじまほんじんあと)

 小島本陣は、慶安三年(1650年)吉川代官屋敷跡に創建され、承応元年(1652年)に膳新藩主本多俊次公、康将公に忠勤の巧により本陣職を拝命された。なお、明治天皇もご宿泊され、明治天皇聖蹟碑がある。






  琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑬(比良・比叡の風を追い風に) 記
堅田駅~南草津駅 22km 
2019年2月3日(日)雨  212名

           堅田駅~琵琶湖大橋~佐川美術館前~木の浜緑地~琵琶湖博物館(スタンプポイント)
         ~道の駅「草津」(スタンプスタンプポイント)~葉山川~旧草津川~南草津駅
 
 今月のびわいちは一番長い22km。入念に準備体操を終え、出発。琵琶湖大橋から見える雪化粧の湖西の山々は美しく輝いていました。みなさん、「きれいやな。」と見入っておられました。琵琶湖博物館でスタンプ押印と昼食。リニューアルした館内に入られた方も見受けました。道の駅「草津」でもスタンプを押印。B班とC班は途中で雨に遭い、お疲れ様でした。
 次回は、2月11日(月祝)の「冬の酒蔵めぐり」(草津線 三雲駅~石部駅12km)。三雲駅に9時30分集合です。皆さま、多数の参加をお待ちしています。

 
   
         堅田駅 受付風景                          S班のみなさん

   
         A班のみなさん                           B班のみなさん

   
         B班のみなさん                             C班のみなさん

   
          佐川美術館全景                      休憩・水分補給

   
        昼食風景(琵琶湖博物館前)              琵琶湖博物館の「樹冠トレイル」                 
   
     近江八景 矢橋帰帆 (歌川 広重 画)               旧草津川の桜並木

         
 ビューポイント
 

琵琶湖博物館「空中遊歩道」

 昨秋、湖岸へと延びる空中遊歩道「樹冠トレイル」が完成。高さ10mのデッキから琵琶湖を一望でき、樹木を手に取るように観察できる。総延長150mで、3千年から4千年前の森を再現した「縄文弥生の森」の中を巡る。メインの道は、近世の琵琶湖の水運を支えた丸子船をイメージ。デッキは2カ所あり、対岸の町並み琵琶湖大橋、長命寺山を望む。

旧草津川の桜並木

  平成14年6月に廃川となった旧草津川は、草津市を東西に貫流する約15kmの河川で、川床が民家の屋根より高い全国的にも有名な天井川でした。平成29年4月に草津川跡地公園de愛ひろば、ai彩ひろばとして生まれ変わり、緑あふれる憩いのスポットとして親しまれている。平成22年には、明治43年に桜が植栽されてから100周年を迎えた。

矢橋(やばせ)

  矢橋から船に乗り、対岸に達すると、東海道の近道になることから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。近江八景の「矢橋の帰帆」として有名。
 現在は矢橋帰帆島が建設され当時の面影はない。また、矢橋帰帆島と湖岸との間の水路に赤潮・アオコが発生しやすく問題が指摘されている。
 矢橋湖底遺跡から縄文土器が出土していることから集落の歴史は古い。万葉集にも詠まれていることから、少なくとも古代には港町の機能を持っていたと思われる。かつては、「矢走」「矢馳」「八橋」「箭橋」などとも書かれた。
 現草津市内には、志那・山田・矢橋の三港があったが、矢橋は特に中世に台頭。要港警備の拠点として矢橋氏による矢橋城も築かれた。「城前」という小字も存在する。

 






 
 
  琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑫(白雪の比良系を背に) 記
志賀駅~堅田駅 14km 
2019年1月20日(日) 雨  220名
 

朝から雨模様。比良山や対岸の沖島や伊吹山は見えず。びわ湖もどんよりしている。志賀駅から大きな石灯籠の前を過ぎ、八屋戸浜を歩いて蓬莱駅に出る。蓬莱駅から八所神社の前の国道を歩き、再び湖岸に入る。蓬莱浜を通って、和邇漁港で列詰めとトイレ休憩。和邇川橋を渡り、県道に合流。
 小野駅信号から左折して真野浜へ出る。しばらく歩いて道の駅びわ湖米プラザに着く。昼食とスタンプ押印。
 午後は、月影公園横を通り、堅田駅でゴール。2時前に全員ゴール。堅田駅でふれあいカードとIVVを配布して解散。本日は、雨の中のウオーク、お疲れ様でした。
 次回は、「琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑬ 堅田駅~南草津駅 22km」(比良・比叡の風を追い風に)を堅田駅9時30分集合で実施します。皆さま、多数の参加をお待ちしています。

 
  
    志賀駅に集まる参加のみなさん              受付風景
 
  
       S班のみなさん                   B班のみなさん

  
      B班のみなさん                    C班のみなさん
  
        開始式                      いよいよ出発
  
        雨の中のスタート                   休憩

  
        湖西の山々                    浜で一休み

  
                      休憩・水分補給

  
        八所神社                     和邇漁港


  
       野鳥の群れ                     びわ湖大橋

  
      雨で身体が冷えました                堅田駅でゴール

 ビューポイント

蓬莱山

 日本三百名山。蓬莱山を含む比良山地一帯は琵琶湖国定公園に指定されている。山頂には一等三角点「比良ヶ岳」が設置され1173.94mとなっている。琵琶湖東岸からは比叡山から比良山地まで続く山並みが望まれ、中でも蓬莱山は雄大な山容を呈している。比良山地は古生層へ貫入した花崗岩からなり、東側は断崖となっているため、屏風のような山が聳えている。蓬莱とは、元来中国の伝説で仙人が住む東海にある霊山であり、比良山地も修験者の霊山であったことに由来するとされる。山頂南側にはクマザサの高原が拡がる。冬には日本海側からの寒波を受けるため積雪が多く、山頂北側にはびわ湖バレイスキー場が広がる。

八所神社

 織田信長が比叡山三千坊を焼き討ちした際、日吉神社の神官はご神体を伊香立村下在地の八所神社に移して難を逃れたが、危険を感じて二つ鳥神社(現大津市八屋戸・八所神社)の神官を訪ね、ご神体をあづかってもらい、それ以来、同社に安産守護の神として祀られている。




 
  平日ファミリー大津なぎさウオーク (初詣ウオーク)
大津駅~石山駅 12km  記
2019年1月15日(火) 曇り  102名
 
       大津駅~合同庁舎前~平野神社~サンシャインビーチ~近江大橋~イオン草津~建部大社~石山駅  

 大津駅前広場は、ひんやりとした空気に包まれ、手がかじかむ朝でした。10時前に出発。合同庁舎横の細い道を歩き、坂を少々登ると、最初の目的地の平野神社に到着。神主さんが護摩木を燃やしておられ、しばし身体を温める方も。平野神社では、八月に「七夕蹴鞠奉納祭」が行われています。
 義仲寺の前を通り、左折し、西部百貨店前から湖岸のサンシャインビーチに入りました.。湖西の山はうっすら雪化粧。琵琶湖は波ひとつなく、穏やかな表情を見せていました。途中、浄水場でマンホールカードがもらえるとあって、何人かがかけ散じました。
 休憩後、近江大橋を渡り、イオン草津の3階フードコートで昼食です。暖かい所で、各自、うどんや弁当などを食べることができ満足。
 午後から空模様がややこしくなり、唐橋公園に着く頃から少し雨が降ってきました。
 最後の目的地の建部大社を目指して歩きます。傘をさしての初詣でした。IVVとふれあいカードを配布し、1時過ぎに解散となりました..
 本日はお疲れ様でした。次回は、「琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑫志賀駅~堅田駅14km」を1月20(日)志賀駅9時30分で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
        大津駅長より完歩賞の授与                     念入りに準備体操

  
           琵琶湖岸で休憩                         平野神社に初詣

  
          小舟入りの常夜灯                      雨の中を建部大社に初詣

  
                                福を釣り鯛    

ビューポイント

建部大社

 主祭神は、本殿:日本武尊、権殿:大己貴命(おおなむちのみこと)。日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅によって、御子・建部稲依別命とともに住んでいた現在の東近江市五個荘の箕作山の地に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが創建とされる。源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される途中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。なお、昭和20年8月、日本で初めて造られた千円紙幣の図柄に日本武尊と当社本殿が使用された。主な祭事は8月17日の船幸祭。
平野神社

 松本一丁目に鎮座。創建は、天智天皇が大津に京を遷都した際、藤原鎌足に命じて仁徳天皇の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。

小舟入りの常夜灯

 打出浜の交差点から京阪電車の線路を越えた辺りに、小舟入りの常夜灯が建てられている。この常夜灯は、「お伊勢参り」の常夜灯として、文化5年(1808年)9月に京都の伊勢講の一つと思われる「恒藤講」によって建立されたもの。この辺りは、元々、「小舟入りの船着き場」と言われ、江戸時代には、矢橋とを結ぶ“湖上交通の拠点”として、「お伊勢参り」などの旅人によって賑わい、その人たちを接待する水茶屋が軒を並べていたそうです。大津の船着き場の一つ、小舟入りを示す常夜灯として、とても貴重なものです。



 
  新春の草津・七福神めぐり草津駅~草津駅 10km  記
2019年1月12日(土) 曇り  175名

             草津駅~伊佐佐神社~小汐井神社~神宮寺~真願寺~養専寺~立木神社~道灌蔵
            ~くさつ夢本陣~草津本陣~de愛ひろば~草津駅


        *草津七福神めぐりのスタンプラリーが行われています。スタンプ7個を集めたら、くさつ夢本陣へ。
 
 今年最初のウオーク。風が冷たく、曇天の空模様にも関わらず、草津駅東口広場には、新年早々多くのウオーカーで賑わいました。9時40分から開始式を行いました。小島会長の挨拶に続き、吉村、馬場理事のコース説明、竹本主任指導員による準備体操の後、出発。各神社ではスタンプ押印のため、行列ができました。
 
 昼食は込田公園で「寒いな。今日は全然身体が暖まらない。」との声。くさつ夢本陣では、流行のマンホールのカードをいただきました。道灌蔵近くの「黒門」の説明看板の前で、小島会長から太田道灌の話を聞きました。道灌蔵では、試飲をさせていただき、新酒を買い求める方もおられました。2階の資料館も見学。
 
 最後に草津宿街道交流館を見学し、de愛広場で解散です。13時50分頃に着きました。
 次回は、「平日ファミリー大津なぎさウオーク
(初詣ウオーク)
大津駅~石山駅12km」を1月15日(火)大津駅9時30分集合で実施します。建部大社と平野神社に行きます。多数の参加をお待ちしています。


   
        草津駅東口広場で受付                           準備体操

   
   伊砂砂神社 (檜皮葺の本殿・素木の流造り)           小汐井(おしおい)神社 (神木はムクノキ)

   
   神宮寺(秘仏の本尊は十一面観音菩薩像)           真願寺 (ご本尊は室町期の阿弥陀如来像)

    
 寿老人と福禄寿(阿弥陀如来の寿と光を象徴)      養専寺(天井絵「花鳥図」が残っている)

   
           込田公園で昼食                  立木神社 (ご鎮座1250年の歴史・由緒ある社)

   
         県内最古の追分道標                    道潅蔵 (江戸時代末期から酒造り)

   
     まちなか交流施設・くさつ夢本陣            草津宿本陣 (東海道で唯一完全な姿をとどめた本陣)

   
          草津宿街道交流館                       ゴールはde愛広場

ビューポイント
 
くさつ夢本陣
 市民と観光客の憩いの場として地域の情報発信機能を備え、コミュニテイFM(えふえむ草津)も併設されている。
草津宿本陣
 大名などの休憩所で、草津に2件あったうちの一つで田中七左右衛門本陣と称す。約4,800平方メートルという広大な敷地に、畳敷268畳、部屋数39室あまりを数え、本陣としては最大のクラスを誇る。書院造りで、表門、御除ヶ門、敷台のある玄関、上段の間、庭と一定の型を示し、東海道筋の本陣で、ほぼ完全に残るのは、ここだけである。建物の他に、多数の関札、182冊にものぼる宿帳など、貴重な資料が数多くあり、一部は展示されている。大福帳には、浅野内匠頭、新撰組、皇女和宮、シーボルト一行などの休泊が記されている。
 
道灌蔵
 太田道灌は、関東管領方、扇谷上杉家の家老として、二十四歳の若さで江戸城を築城。江戸三百年の泰平と明治から現代に至る首都東京の発展の礎を作り上げた太田道灌。 城は皇居となり、江戸が現在の東京という大都市に発展しえたのも道潅という偉大な開祖がいたからに他なりません。ある日、道潅公が夢枕に現れ、拙者が作った大黒天を縁者の所に届けてほしいと申された。それは何処にあるのですかと訪ねると、あなたの知人の所にあると。翌朝、知人を訪ねると、立派な松の大木で出来た大黒様がおられるのが判りました。その後、当家にお譲りいただいて東京店でお配りしていた。さらにその後、本社道潅蔵完成と共に、太田家にお祀りしている。像の裏側に長禄元年道潅造之と記されている。
 
草津川跡地公園(de愛広場)
 全国的にも有名な草津の天井川が平成29年4月に緑あふれる公園として生まれ変わった。春には桜が美しく、散歩コースにも最適。公園内にはレストランやカフェも営業している。

追分道標
 「右東海道いせみち 左中山道美のぢ」と刻まれた県内最古の石造道標が建つこの地は、東海道と中山道のまさに分岐・合流地点。かつて草津宿の追分見付と呼ばれていたこの地に火袋付きの常夜灯が今に残されている。


 



 
(納会ウオーク)師走の彦根城下を訪ねて  彦根駅~彦根駅 10km  記
2018年12月16日(日) 曇り  69名

 
         彦根駅~彦根銀座商店街~夢京橋キャッスルロード~宗安寺~彦根城~彦根駅

 

 ここ数日寒い日が続きましたが、今日は、陽差しがあり、ウオーキング日和になる。会長の挨拶を聞いていて、今日が最後のウオーキングだと思うと、この1年を早く感じた。

 準備体操で身体をほぐした後、彦根駅を出発。彦根総合高校を左に見て、芹川を渡り、ケヤキ道を歩く。四番町スクエアでは、ひこにゃんのマンホールカードを求めるが20人程、彦根博物館でも歴史カードを求める人が30人位あった。

 彦根城を見ながら金亀公園で休憩の後は、彦根城外堀跡の横を歩き、彦根市民会館でゴール。その後は自由歩行になり、彦根城を観光する人、買い物を楽しむ人、彦根駅に向かう人に分かれた。

 彦根市民会館の納会では、美味しい弁当を頂きながら、今年幹事になった4名の感想を聞く。最後に、会長と副会長から1年の締めくくりと、来年の抱負を聞き、お開きになった。

 本日はお疲れ様でした。来年最初のウオ-クは、1月12日(土)「新春の草津七福神巡り10km」です。草津駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。 それでは、皆さま、よいお年をお迎えください。

  
    
堀としての役割を担った芹川             彦根城とひこにゃん

  
       
四番町スクエア                  金亀公園


  
       
 彦根城外堀跡                 夢京橋キャッスルロード


  
   
朝鮮通信使の上使が宿泊した宗安寺                玄宮園

ビューポイント
                                     
夢京橋キャッスルロード

 彦根城の堀にかかる京橋からすぐの通りです。この通りがある彦根市本町は、1603年に彦根城が築城されたと同時に、城下町の町割がここから始められているという歴史がある街です。江戸時代の城下町をイメージした街並みは、白壁と黒格子の町屋風に統一されています。
 和菓子屋・洋菓子屋・地元商品を扱う店が軒を並んでいる様は、正しく“OLD NEW TOWN”です。
  

                               




 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018フォローウオーク 近江八幡駅~能登川駅18km  記
2018年12月15日(土) 曇り  50名

 寒風の中、50人のウオーカーが近江八幡駅から能登川駅まで歩きました。


  
                                                雪化粧の山々

   
           水車資料館で :  水車を利用して玄米を白米にする精米作業を行っています。

    
                                         伊庭内湖に生息する野鳥の仲間

  
                        木々の葉も落ち、寒風の中を歩く

  
                                      珍しい形の時計台を見つけました

 ビューポイント
  
伊庭内湖

  伊庭の暮らしを支えていた伊庭内湖は、五十数個あった内湖のうち、承水溝として干拓されずに残った湖であり、コイやフナ、モロコなどが産卵を行い、夏にはホタルが飛び交う。冬になるとマガモやコガモ、キンクロハジロ、オオバンなど二千羽を越える水鳥が飛来する。また、渡り鳥の絶滅危機増大種が繁殖するようになった。美しい水は、生き物を守り、育む母なる水資源でもある。
 しかし、近年、伊庭を取り巻く水環境に変化が見られるようになる。外来魚の増加やゴミの不法投棄などが影響し、内湖の環境が徐々に悪化。一方で、非常に珍しい野鳥・アカツクシガモが飛来したことを通じて内湖の自然に注目が集まった。



 
平日ファミリー大津なぎさウオーク(「師走の街歩き」)12km  記
2018年12月11日(火) 曇り一時晴れ  122名


大津駅~御幸町~三井寺~大津市歴史博物館~大津市役所前~丸長漬物店~大津港(昼食)
~川口公園~商店街散策(フリータイム)~大津駅

 風が冷たく感じる中、大津駅を出発。御幸町から日赤の前を通り、三井寺で休憩。出発前に会長から昔の周辺地域の様子について聞きました。円満院の前を通り、大津歴史博物館まで歩き、勅題写真展覧会場に入りました。
 勅題が「光」。
役員の写真も展示されていて、どの作品も力作揃いで、風景や人物など光と影が見事に表現されていました。皆さん、食い入るように鑑賞しておられ、「もっと観たかったのに。」の声が聞こえてきました。
 次は、市役所前から陸上競技場の横を通り、尾花川の丸長漬物店に寄りました。買い物を楽しんだ後、歩道橋を渡り、湖岸道路を歩いて浜大津に向かいました。
 
 大津港に11時40分頃着きました。12時20分まで昼食休憩です。殆どの方が室内で食べておられましたが、大津港の芝生で景色を見ながら食べている方もおられました。湖西の山は、頂がうっすら雪化粧。伊吹山は真っ白でした。
 午後は、浜大津の電車道を横断し、三井寺駅近くの川口公園に行き、会長から川口掘について説明を聞きました。
 
 最後は、かつて賑わいを見せていた中町・菱屋町・丸屋町商店街を自由散策しました。平和堂が出店し、新しい店が生まれ、少しずつ変わっていく商店街の様子を見て歩きました。 その後は、大津駅まで歩き、13時15分頃にゴールの大津駅に着きました。

 次回は今年最後の納会ウオークです。

 「師走の彦根城下を訪ねて 彦根駅~彦根駅 10km」を 12月16日(日)彦根駅9時30分集合で実施します。
皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
   日赤前の犬塚のケヤキ               日赤の前を歩く


  
       大津市歴史博物館を後にして                 漬物店に立ち寄る


  
        大津港に向かう                             大津港で昼食


  
            川口公園で                      琵琶湖疏水辺りに外堀があった


  
   外堀はこの辺りから南へ曲がっていた           こんな小さな水路もかつての外堀が


  
       外堀南側の石垣が残る                 賑わいを見せる百円商店街

 ビューポイント

川口掘

 この地には、江戸時代、薪炭などの諸物資を荷揚げする舟入り堀がありました。今からおよそ300年前の元禄8年に作られた川口町絵図には、琵琶湖岸から浜通りまで、長さ214mの細い堀が描かれ、堀の中ほどに、すでに橋が架けられていたこともわかります。
 この川口堀は、大正末期に一部埋め立てられましたが、堀の一部は戦前まで残り、湖東方面から肥船が肥の回収にやってきて、替わりに野菜を置いていったということです。
 川口堀はその後完全に埋め立てられ、昭和31年には川口公園として整備開設されました。

100円商店街

 130以上の店が集い、食品、雑貨など、さまざまな商品、サービスが100円で提供される「100円商店街」。熱々の近江牛コロッケをその場で食べたり、大正時代から続く漬物屋さんでは、5~6種類入ったお茶漬けも100円で食べられます。また、牛すじを使った濃厚スープが100円など、買い物を楽しむ人で賑わいます。年に4回ほぼ土曜日に開催されています。第24回大津100円商店街が12月1日(土)に行われました。
 大津駅から無料のタクシーが走り、100円寄席や合唱のコンサート、百人一首「ぼうずめくり」も催され、大勢の人で賑わいました。次は、31年3月2日()に行われます。

丸長の漬物

 江戸時代の始めから、尾花川は良質の土壌を生かして疏菜づくりが盛んでした。聖護院蕪や、金時にんじん、聖護院大根に近江かぶらなどは京の都へと出荷されていました。滋賀の伝統野菜を使った漬物から全国大会でグランプリを受賞した新作まで、四季の漬物が豊富に揃っています。社長さんは、「漬物の近江ブランドをみんなの力で確立したい」という夢を持っておられます。

 




 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑪  近江高島駅~志賀駅 17km  記  2018年12月9日(日)曇り時々小雨、みぞれ     

       近江高島駅~大溝城跡~乙女が浜~白髭神社~北小松駅~雄松崎~比良駅~志賀駅

 今年に入って最も寒い朝とのニュースを聞きながら、集まっていただいたようですが、何時ものように沢山の参加者で、近江高島の駅員さんもてんてこ舞いの忙しさ。天候は午前中60%雨という予報でしたが、言葉通りの小雨の中をスターとし、大溝城跡、乙女池を通って、白髭神社で一休み。
 北小松をすぎてからは、湖岸を歩き、蜃気楼にけぶる対岸の沖島や荒神山を望むことができました。
 春の琵琶湖岸も美しいですが、初冬の遠くにかすむ山々を見ながらのウオークも、また捨てがたいものと感動した一日でした。
 次回の琵琶湖一首健康ウオーキング2018⑫「白雪の比良系を背に」は、平成31年1月20日(日)志賀駅~堅田駅14kmです。志賀駅9時30分集合です。皆さま多数の参加をお待ちしています。
 
  
         
 近江高島駅で受付                           A班のみなさん

  
  
          B班のみなさん                          B班のみなさん

  
  
           C班のみなさん                          大溝城跡

  
              
乙女が池                            万葉歌碑

  
               
白髭神社                          四十八体石仏群

  
  
        岩除け地蔵                               高島ビレッジ

  
        長谷寺(高島町音羽)               高島町勝野の街並み
                         

  
       
揚梅の滝(北小松)               北小松の切妻型の町屋
 
 
          

ビューポイント

大溝城跡

 織田信澄が天正6年に築城した城で、浅井三姉妹の次女・初が京極高次と新婚時代を過ごしたと言われています。


乙女が池

 
万葉の時代、「香取の海」と呼ばれた乙女が池一帯は、山の麓までびわ湖の入江になっていました。その後は、大溝城の外堀で、恵美押勝が挙兵に失敗し、高島郡三尾崎で捕らえられ、勝野の入り江で斬罪されたと伝えられる地で、壬申の乱で落城したと伝えられる三尾の城も背後の山中にあったと言われ、幾多の歴史を秘め、湖面にロマンを漂わせています。今は内湖となり、淡水魚の宝庫として釣り人も多い静かな公園です。また、乙女が池の畔と高台には、乙女が池を詠んだ万葉集の歌が刻まれた歌碑があります。

白髭神社

 
近江最古の神社で、近江の厳島神社とも呼ばれ、近年はパワースポットとしても知られており、湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居に惹かれ、若い人の参拝も多い。境内には、与謝野鉄幹・晶子夫婦がここを訪れた際に詠んだ歌碑があります。

岩除地蔵尊

 鎧岩と呼ばれる大きな岩の下に安置されており、通行には大変危険な場所であり、人々は、落石やガケ崩れから身を護って頂くために、お地蔵様を「岩除地蔵尊」と名づけ、崇拝するようになったと言われています。

鵜川四十八躰石仏群

 
室町時代後期、観音寺城主 佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うために、観音寺城から西に当たる当地に(西方浄土)に建立したと言われています。

小松地区

 
江戸時代は、ほぼ幕府領で、大津代官所が支配していました。また、荒れ地や湿地帯などの新田開発が進み、隣村との境界線争いが絶えなかったようです。板壁をめぐらした町屋がぎっしり並んでいます。
紅殻と呼ばれる防腐・防虫のために、赤い紅殻を家の格子や柱に塗っている家々が軒を並べています。

 また、昔から楊梅の滝から流れる水を農業・生活用水として使用しています。
家々の側を水路が走っており、家の前にある「かわと」で野菜や果物を冷やしたり、茶碗を洗ったりしていました。現在では、殆ど使われていませんが、約30箇所残っているようです。
 






北国街道と戦国武将ゆかりの地を巡る道  米原駅~長浜駅 12km  記  
2018年12月2日(日)晴れ  83名    
 

             米原駅~大谷吉継の首塚~朝宮公園~坂田駅~長野家跡~山内一豊母の墓~福田寺

       ~さいかちの木~びわ湖大仏~徳勝寺~長浜駅


  朝から好天気に恵まれ、ウオーキング日和になりました。行く先々で、德田理事の説明があり、予定のコースを歩く事が出来ました。福田寺で昼食休憩です。長浜びわ湖大仏は、さすが27mもあり、みなさん、見上げておられました。
 最後は浅井三代の菩提寺である徳勝寺を訪れ、お参りをした後、ゴールの長浜駅に向かいました。
 次回は、「琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑪近江高島駅~志賀駅17km」を 12月9日(日)近江高島駅10時集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
      米原駅に集まる参加のみなさん                         出発前

  
             大谷吉継の首塚                     山内一豊と千代の像(坂田駅前)

  
       一豊の母が身を寄せた長野家                      一豊の母(法秀院)の墓

   
      一豊屋敷跡                 さいかちの木              高さ27mの長浜びわこ大仏

   
       小谷城主浅井三代の菩提寺・徳勝寺            德田理事の説明に聞き入る参加のみなさん

ビューポイント

 大谷吉継の首塚

 関ヶ原の合戦(1600年)で、西軍石田方の参謀として奮迅の働きをした大谷刑部吉継(1559年~1600年)の首塚と伝えられている石塔がある。大谷吉継は、現在の長浜市余呉町小谷在住の浅井氏家臣・大谷吉房の子といわれ、石田三成と同じ頃に羽柴秀吉に招抱えられ、関ヶ原合戦の時には越前国(福井県)敦賀5万石の領主だった。

 江戸時代に彦根藩士の著『近江木間攫え』では、この塚を水口城主だった長束正家の墓と記している。ところが、『改訂近江国坂田群誌』2巻によれば、正家は関ヶ原合戦後、蒲生郡で自害し、その首は京へ送られており、正家の首塚ではないとしたうえで、関ヶ原での小早川秀秋の裏切りによって、西軍の敗北を悟った吉継、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、甥の僧祐玄が首を錦の袋に入れて、敦賀への逃亡の途上に、この地に埋め隠したといわれている。今でも地元の人々に守られ供養されている。

 吉継は、天正17年(1589年)に越前国内で5万石を与えられ敦賀城主となり、敦賀城を三層の天守閣持つ近代城郭に拡張・改善し、城下を整備した。吉継の敦賀入邦は、日本海交易の要港で、北国の物資の集散地だった敦賀湊を秀吉直系の家臣に掌握させ、北国から畿内への輸送拠点、出兵時の物資調達拠点として機能させる狙いがあったようである。

一豊と千代の銅像(坂田駅前)
 一豊は、賤ヶ岳の戦いの後、長浜城3代目城主となった。

山内一豊の母の墓

 戦国武将山内一豊の母は、夫の盛豊が戦死した後に出家して「法秀院」と称し、この地で亡くなった。長野家に身を寄せ、質素な生活を送りながら、裁縫や行儀作法を教えていた近在の子女の中に、後に一豊の妻となった千代がいたと云われている。千代が名馬を買わせ、出世させた話は有名。金十両を持たせたのは、この母とも言われている。

一豊屋敷跡
 一豊の俗称である「伊右衛門屋敷」石碑が残されている。

福田寺

 戦国時代、時の住職覚芸は、真宗を護らんと湖北数十ヵ寺の信徒を率いて浅井氏とともに織田信長と戦ったという。境内には小谷城から移築されたという県指定の文化財「浅井御殿(書院)」や、国の名勝である「枯山水の庭園」がある。

さいかちの木

 下坂浜の一帯は、昔、浜村と呼ばれ、「さいかち浜」とも言っていた。昔は、この木がこの町あたりから、ずっと遠く彦根方面まで湖岸沿いに植えられていて、木々の美しい緑なす風景が湖水に映えて、道を行き来する人々の目を楽しませたそうである。
 ここはまた、一向一揆の悲しい古戦場でもあり、その戦士の墓場も、今は湖中に姿を消してしまって、これも語り伝えごとになってしまった。

 長浜びわこ大仏

 本体は青銅製で重量は88トン。1933年(昭和8年)1月、良寿寺三十世義天和尚が、大阿弥陀如来像を発願し、1937年(昭和12年)4月、信徒の協力を得て、高さ約27mの「護国阿弥陀如来像(初代びわこ大仏)が完成し、開眼供養が営まれる。
 その後、劣化が進み、1994年(平成6年)10月10日、二代目長浜びわこ大仏の開眼供養が営まれる。「下坂の大仏さん」と呼ばれ、近隣の人々に親しまれている。台座部分は登ることができ、大仏の足元まで行くことができる。
 徳勝寺

 小谷城主・浅井三代(長政公、亮政公、久政公)の菩提寺。曹洞宗の寺院。本堂には、秀吉が播州から持ち帰った薬師如来像や長政夫妻の寺宝が多く安置されている。境内には浅井家の家紋の入った鬼瓦がある。近くに長浜大仏もある。

 



 

 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑩「白砂と青松、そして眺望」  記
  近江今津駅~近江高島駅 18km   
2018年11月25日(日)晴れ  138名    
 


      近江今津駅~新旭水鳥観察センター~針江浜園地~ステージクス高島・源氏浜園地(昼食)
      ~安曇川浜園地~横江浜~萩の浜~近江高島駅
 
 絶好のウオーキング日和。JRの遅延により出発が15分遅れてスタート。
 本日は、来年1月2日17時から放送予定である「健康しが」の撮影が行われるとのことで県庁からも2名参加され、健康しがの「のぼり旗」を掲げてイザ出発!
 木津交差点を通過。右に秋の装いも深まる比良のやまなみ、左にびわ湖をのぞみ、軽快に歩を進める。秋の爽やかな空気、源氏浜園地で昼食を済ませ、次は、横江浜園地を目指し出発。ここで撮影が行われる予定になっている。しかし、撮影スタッフは見えず皆がっかり。近江高島駅で撮影スタッフと出会ったが、結局、撮影はされませんでした。
 秋晴れのもと、全員無事に完歩することができました
 次回の「琵琶湖一周健康ウオーキング
2018⑪ 近江高島駅~志賀駅 17Km」は、12月9日(日)近江高島駅10時00分集合で実施します。
 皆さま多数の参加をお待ちしています。



  
       S班のみなさん                A班のみなさん

  
       
         絶好のウオーキング日和

  
         
常夜灯                 竹生島遥拝所跡   

  
     
   木津の港跡                 二つ石大明神   

  
                 
源氏浜園地で昼食

ビューポイント 

四高桜の石碑

 萩の浜水泳場に入る手前の一角にある石碑は、昭和16年4月6日に金沢大学ボート部員11名が比良八荒の季節風に遭い、萩の浜の湖底に沈みました。その遭難死を悼んで、関係者と地元の人が協力し、湖岸に1,000本の桜の苗木を植え、「四高桜」の碑を建立しました。

木津の港跡

 木津は、昔から湖上交通の要所で、竹生島への渡し場であり、江戸時代に若狭小浜藩の米蔵屋敷のあった所。かつては157間の石垣があったと言われている。

竹生島遥拝所跡

 ここから竹生島がよく見えるため、その昔、舟に乗って竹生島に渡る路線のない巡礼者が、この場所から竹生島を拝んだと言われている。

二つ石大明神

 琵琶湖の沖合100mの湖底に二つの石がある。これが「二つ石」と呼ばれているが、渇水時でないと現れない。このため、沖の「二つ石」に代わって、同じような大きさの石が二つ、湖岸に置かれ、二つ石大明神として祀られている。毎年7月28日に雨乞いの神事が行われる。「二つ石」は、7~8世紀に施工された耕地区画「条里制」の貴重な遺構でもある。

針江浜のヨシ焼き

 新旭のヨシの群生地は、ニゴロブナなどをはじめとする湖魚や多くの野鳥の生息の場となるとともに、琵琶湖の水質保全をも助けており、初冬に刈り取り、3月初旬頃にヨシ焼きが行われる。
 
 






 
紅葉に燃える宇治を歩こう  14km    記
2018年11月23日(金)    
 

    宇治駅(集合)~宇治上神社~仏徳山展望台~朝日山観音~天ヶ瀬森林公園

   ~天ヶ瀬ダム~吊り橋~もみじ谷~平等院(解散)~宇治駅

  
        宇治橋と紫式部の像                          宇治駅に集合

  
         開始式・コース説明                          もみじの下を歩く
 

  
           紅葉の下で休憩

  
        宇治上神社                 朝日山観音堂

  
         天ヶ瀬ダム・鳳凰湖              天ヶ瀬橋(吊り橋)を渡る

 
           平等院の鳳凰                           平等院の紅葉

 
      
    平等院                    鳳凰

ビューポイント

宇治神社・宇治上神社

 ともに宇治の産土神で平等院の鎮守社として栄えた。明治までは2社1体で宇治離宮明神と呼ばれていた。宇治上神社の本殿は平安時代の建築で、神社建築としては日本最古。拝殿は宇治離宮の名にふさわしい寝殿造形式。

大吉山(仏徳山)

 標高131mの山。「さわらびの道」を宇治上神社から少し東へ行くと、登り口があり、約20分で展望台に着く。登山道は東海自然歩道になっており、サクラ、ヤマブキ、モミジ、サザンカ等の木々が四季折々の風情を見せてくれます。

 展望台の付近には、与謝野晶子誕生百年を記念して「みだれ髪の会」が建立し、宇治市に寄贈された「与謝野晶子歌碑」がある。宇治川、中ノ島、平等院をはじめ、宇治の街並みを一望できる。

朝日山

 大吉山(仏徳山)の東に聳える円錐形の山で宇治の東にあり、朝日を受けるのでこの名が生じたと伝える。宇治名山の一つとして古来、歌に、謡曲に歌われ、観月の地としても知られる。

天ヶ瀬橋(吊り橋)

 天ヶ瀬ダムの下流にある吊り橋。周辺の渓谷は宇治川ラインと呼ばれ、春は桜、初夏は深緑、秋は紅葉と四季折々に美しい。

平等院

 羽を広げたような姿の鳳凰堂は10円硬貨のデザインでおなじみ。平安時代の大貴族藤原道長の別荘を息子の頼通が寺に改めたもの。堂内の壁には天を舞う雲中供養菩薩像や12人の天女が音楽を奏でる姿が描かれ、極楽浄土の世界を表現している。

 




 

 
平日ファミリー大津なぎさウオーク 12km    記
2018年11月20日(火) 晴れ時々曇り  参加人数 115名 
 
         
       大津駅~お祭り広場~和田浜~膳所城趾公園~膳所神社~
秋葉台~茶臼山公園~膳所駅

 
風が冷たく感じる朝、大津駅に集合。小島会長のあいさつに続き、完歩賞の授与がありました。体操をした後、10時過ぎに出発。30m道路を下り、京阪島ノ関の踏切を渡り、湖岸に出ました。なぎさ公園打出の森で休憩。緑織りなす比良の山々が美しく、琵琶湖大橋も見えて気持ちよく歩きました。

プリンスホテルを曲がり、サンシャインビーチに出ます。鯉釣りの竿が数本並んでいました。

湖西の山々を見ると、虹が出ていて、感激! 2回目の休憩です。会長から膳所城(石鹿城)のいわれと和田神社の説明を聞く。

 和田神社には、石田三成が一晩縛り付けられた樹齢約600年のケヤキがあり、また、矢橋の帰帆島から膳所に戻る船は、石場の常夜灯では分かりづらく、ケヤキを目印にしたそうです。

 和田浜から湖岸道路を横断して、膳所の町をしばらく歩き、和田神社の境内を通って、11時30分に膳所城趾公園に着く。昼食後、会長の膳所城に纏わる話を聞く。膳所 は元々寒村。7万石の城下町としては、みすぼらしいと考えた膳所藩はお金を出資して、通りの家々を瓦葺きにしたそうです。今も瓦を焼いた瓦ヶ浜という地名が残っています。
 
 午後は、膳所神社の境内を通り抜け、土塀の通りを歩く。1号線の高架下を潜って国道1号線秋葉台の信号を横断し、暫く坂を上り、茶臼山公園に着きました。帰りは下り坂で、途中休憩。会長から杉浦重剛の話を聞く。膳所杉浦町の出身で、英国に留学後、東京英語学校を創立。昭和天皇に倫理、英語を教えた。

1号線を歩き、膳所駅に13時20分にゴールしました。本日は、時折冷たい風が吹く中のウオークお疲れ様でした。
 次回のなぎさウオーク「(師走の街歩き)12km」は 12月11日(火)大津駅9時30分集合で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。

     
                      琵琶湖や対岸の山々を見ながら気持ちよく歩く

 
           和田の浜の石碑                           和田神社

 
      和田神社のご神木「イチョウの巨木」              昼食後のひととき(膳所城趾公園で)

 
         会長のお話(膳所城趾公園で)                 膳所城趾公園・本丸跡

 
             膳所神社                   旧武家屋敷の土塀が残る膳所1丁目の街並み

 
           史蹟 茶臼山古墳                         小茶臼山古墳

 
              秋葉神社              葬り塚(大友皇子とその子ども、付き添っていた舎人たちの塚

 
       茶臼山公園から琵琶湖を望む              一際目立つ皇帝ダリア

ビューポイント

和田神社の銀杏の樹

 高さ  24m、樹齢600年から650年。関ヶ原」の合戦後、徳川家康に敗れ、捕らえられた石田三成が京へ護送される際、この銀杏の樹につながれ、休息をとったという伝説が残っている。

旧武家屋敷の土塀


 天智天皇の大津宮時代、獲った魚を調達した陪膳浜(おものはま)と言われていた膳所は、江戸時代の初め、瀬田の唐橋や東海道を掌握するため、徳川家康によって大津城を廃城とし、膳所城を築城して以来、軍事的な城下町として栄えてきた。

 京阪電鉄に平行している旧東海道の町並みは、家並みのほか曲折した小路を持っているなど、昔の面影を偲ぶことができる。特に、旧武家屋敷跡の土塀などが今も残っている。
 縁心寺や膳所事件で犠牲者となって処刑された藩士11名のうち、数名が葬られている安昌寺など、まさに街全体が歴史といえる。

膳所神社


 祭神は,伊勢外宮と同じ豊受比売命(とようけひめのみこと)。奈良時代の創祀と伝えられている。天皇の御厨(みくりや)の地には、どこでも食物を司る御祭神、御食津神(みけつのかみ)=豊受比売命(とようけひめのみこと)が祀られている。天智天皇が大津宮へ遷都の時、膳所の地を御厨の地(=料理する所)と定められた。
 天武天皇の代に大和国より御食津神を奉遷して、大膳職(だいぜんしき)の御厨神として祀ったのが膳所神社の始まりと言われている。
 中世には諸武将の崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉や秀吉夫人の北政所、徳川家康などが神器を奉納したという記録が残っている。
 表門は、明治3年に明治維新とともに廃城になった膳所城から移築したもので、国指定の重要文化財になっている。本殿・中門および拝殿の配置直線上、東正面の琵琶湖に向かって立っており、表門である本瓦葺の薬医門がどっしりとした構えを見せている。膳所の地名は、この地を陪膳浜(おものはま)と言い、「陪膳の所」という意味からと言われています。      *陪膳=天皇の食事のこと

  膳所城趾公園

    1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、徳川家康が初めて築いた城が膳所城。
   膳所城は、1601年大津城を築城したあと天守閣は、彦根に移築され、現在の膳所城趾公園に移築された。
  琵琶湖の浮城とも呼ばれ、日本三大湖城の一つだったが、
1870(明治3年明治維新により廃城となり解体され  た。
 
  茶臼山古墳(秋葉台


   茶臼山(155m)中腹にある県下第2位の規模を誇る前方後円墳で国指定の史跡。
   古墳時代前期に属する4世紀末から5世紀初頭のものと推定されている。彦坐王とも大友皇子一族の墓とも言  われているが、被葬者については明らかではない。墳丘全面には葺き石が敷かれ、円筒埴輪が巡り、後円部頂上  には形肖象埴輪も見られる。
   現在、古墳東部に防火神としての秋葉神社が祀られており、さらに、南西100mの所には、小茶臼山古墳が  ある。周辺は茶臼山公園として整備され、市民の憩いの場となっている。





 

 
いせみちを歩く 近江八幡駅~近江鉄道八日市駅 13km  記
2018年11月11日(日)晴れ   参加人数 82名 
 

           近江八幡駅~黒橋の分岐~JR地下道~金剛寺湧水~船岡山万葉公園~近江鉄道八日市駅

 快晴のウオーキング日和。近江八幡駅を出発し、鷹飼町に入ると、「いせみち」の道標が今もあり、早速カメラに納めている方もいました。となりの金剛町に入ると、ここにも道標があり、大きな灯籠に「いせへ」の文字が刻まれていました。
 今や野田町のコスモス畑は有名になり、多くの方が見に来られています。時期はやや過ぎていましたが、まだまだきれいに咲いていました。みなさん、きっといい写真が撮れたことでしょう。友定町の八坂神社で休憩。新穀祭の神事が行われており、しばし見学。
 船岡山公園で昼食です。
 船岡山に登り、蒲生野を見渡し、額田の王と大海人皇子の歌碑を読み、万葉の世界に浸りました。
 武佐町にも道標がいくつもあり、「いせみち」は、八日市に入り、左に太郎坊宮を見ながらゴールへと進みました。
 予定よりずいぶん早く八日市駅に着きました。
 次回は、「平日ファミリー大津なぎさウオーク (紅葉はないか)12km」を11月20日(火)大津駅9時30分集合で実施します。 皆さま多数の参加をお待ちしています。



   
           近江八幡駅に集合                      秋晴れの下、足取りも軽く

  


  
    穏やかな天候に恵まれ颯爽と歩くウオーカー        今ではあまり見られなくなったコスモス畑   
   
    蒲生野の遊猟の一場面を絵にしたレリーフ          湧き水で動く水車


ビューポイント

中山道「武佐宿」
 近江路には柏原から草津までの9つの宿場があり、近江八幡には、武佐宿があります。武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる街道で海産物、紙、布等の物資が行き交ったとされています。現在の国道421号線がほぼ踏襲)や、八幡町内へ分岐する交通の要で長さは約1kmに及びます。

金剛寺湧き水
 鎮守の森、若宮神社一帯は湧水地で、若宮湧水という。往古から古い泉があり、大化時代(約1346年前)地下7~8mから清水が湧き出し、近隣の村落にも農業生活用水として活用されていた。江戸時代には、3年に一度の川幅改めという行事があり、川筋の浚渫作業が行われていた。

万葉の森船岡山
 船岡山の山頂には、蒲生野遊猟の際の大海人皇子と額田王が交した相聞が刻まれた歌碑があります。散歩する道や蒲生野の遊猟の一場面を絵にした巨大なレリーや、万葉集の歌の歌碑と合わせて、その詠まれている植物が植えられている、「万葉植物園」があります。

近江八幡市金剛寺町の道標 

   
        
  道標1                     道標2

  
     
      道標3                     道標4

間道を通って近道利用(道標1)

 嘉永6年(1853年)建立の道標。浄厳院、観音寺、長命寺と周囲の寺を案内。

近江八幡・長命寺へ(道標2)
 写真の方向は琵琶湖方向で、八幡や長命寺に行けます。道標の通り左に曲がっても同じです。

この道はどんな道?(道標3)
 まっすぐ行くと観音寺・浄厳院へは近いですよ。近道まで案内してくれています。主要道路からそれ、間道を通って行く人たちも多かったらしい。多分、旅人はその村の住人にいろいろと行く先を教えてもらって旅をしたのでしょう。

何処に建っていたのかな(道標4)
 道標3の写真の左手にある寺の前には地蔵さん、その前には弘法大師の銘が刻まれた道標がありました。

  




 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑨ 永原駅~近江今津駅 20km  記
2018年11月4日(日) 
雨 
 
        永原駅~大浦緑地公園~海津大崎~湖のテラス~今津百瀬川緑地~今津周遊基地
     ~琵琶湖周航の歌記念館~近江今津駅


 開始式から雨。本日のウオークはずっと琵琶湖沿いを歩くコース。
  夏は、岸辺でテントを張った海水浴客が見られるが、今の時期は荒涼として寂しげな琵琶湖。近くに竹生島が見える。五つのトンネルを抜けると海津大崎。桜のシーズンは観光客で賑わう当地も閑散としている。
 土産物店の軒下で昼食を摂る。帰路、いつもの佃煮店に立ち寄る。湖魚を買い求める方も多かった。
園地の松の木があちこちで倒れていた。琵琶湖周航の歌資料館でスタンプを押印し解散となった。
 本日は雨の中のウオーク、お疲れ様でした。

 次回は、「いせみちをあるく(近江八幡駅~八日市駅)13km」を11月11日(日)近江八幡駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
          雨空の永原駅に集合                       開始式

  
           S班のみなさん                     A班のみなさん

  
           B班のみなさん                      C班のみなさん

  
                           雨の中のウオーク

  
               休憩                             大崎寺

  
        軒下で昼食(海津大崎で)                  海津大崎を出発

  
                            湖のテラスで休憩

  
        荒涼とした琵琶湖 竹生島                   知内川の吊り橋
  
  
               園地で休憩             琵琶湖周航の歌資料館でスタンプ押印・ゴール

  
        石積みが続く海津・西浜                 いけ(共同の洗い場)

  
            海津の路地                   田舟のある懐かしい風景

  ビューポイント

海津の町並み
   
 北陸道の要衝の地として早くから開け、江戸時代に至ってもその機能は重視された。現在は湖側に切石を緻密に積んだ石垣が延々と続き、家々がその上に並んでいる。石垣には各戸から水面へ下がる石段がある。

マキノ・サニービーチ「湖のテラス」
 高木浜から知内浜間の約1kmにわたって、なだらかな汀線が松林に青く縁どられて美しい景観を作り出し、「21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松百選」に選定されている。オートキャンプ場等のアウトドア施設も整備されている。

今津柿
 今津町深清水地区では、100年以上前から柿の栽培を行っており、現在40軒の農家が約20ヘクタールの畑で柿を栽培している。この一帯は百瀬川の扇状地で、もとは桑畑。大正時代に柿の産地・岐阜から富有柿の苗木を持ち帰り、植えたのが始まりだそうです。現在、平核無(ひらたねなし)、太秋(たいしゅう)、蜂屋(はちや)、富有(ふゆう)など約10品種が作られている。

 






 
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑧ 戦国の歴史の宝庫     記
2018年10月28日(日)高月駅~永原駅 19km
   239名 

          高月駅~西山南橋交差点~賤ヶ岳リフト前~飯浦~塩津神社~道の駅「あぢかまの里」(昼食)

      ~岩熊第2トンネル~大浦口~永原駅  

 今回はもう一つのウオーキングがあり、スタッフの人数の関係で、S班とA班の合同チームになった。いつものように写真撮影後、高月駅を順次出発した。西物部から磯野町集落を歩き、余呉川を渡り、川べりを進んだ。あちこちに秋の風情を感じ、道端のたわわに実る柿の木を見ながらのウオーキングは、まさにこの時期ならでの醍醐味だった。
 
国道8号線手前の階段を上がり,まもなく賤ケ岳リフト前に到着。(C班はここで昼食タイム)塩津神社までの道のりは、左手に穏やかに光る琵琶湖を望み、出発時には曇りがちだった天気も快晴になった。
 水の駅・あぢかまの里でスタンプ押印と昼食タイム。

 行楽シーズン中でもあり、大勢の観光客や買い物客で賑わっていた。私達もソフトクリームを食べたり、お土産を購入したり、しばし楽しく過ごした。
 午後は残り5キロ余り。岩熊トンネルを抜け、大浦口を通って永原駅にゴールした。
 
 次回は、「琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑨ 永原駅~近江今津駅20km」を11月4日(日)永原駅10
時集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。


   
        開始式 小島会長あいさつ                       準備体操

  
            A班のみなさん                        B1班のみなさん

  
           B2班のみなさん                            C班のみなさん

  
                           好天気に恵まれたウオーキング

  
      昼食C班 (賤ヶ岳リフト乗り場近くで)                 トンネルを抜けると奥琵琶湖

  
        静かな佇まいの奥琵琶湖と竹生島               琵琶湖の最北端を歩く
        
          塩津神社                 塩津海道あぢかまの里

  
            丸子船                          菅浦湖岸集落

  
           菅浦湖岸集落                            菅浦湖岸集落

 ビューポイント

奥琵琶湖パークウエイ
 びわ湖の最北端に突き出た葛籠尾半島を縦に走る18.8kmのドライブコース。沿道を飾るのは約4000本の桜の木。その向こうには、太陽の光に反射して輝く雄大なびわ湖。つづらお展望台からは、びわ湖の4分の1以上の景観を臨むことができます。

塩津神社(西浅井町)

 塩津浜は、平安の頃より、北陸・越後から運ばれてくる海産物、特に塩の輸送の重要な中継地でした。
塩津神社は祭神を塩土老翁とし、近くの志波谷では塩水が湧き、村人が製塩を行っていたと伝わっています。


塩津海道あぢかまの里
「あぢかま」とは、塩津の地域をさす枕言葉で、びわ湖の水辺で冬を越す鴨に由来しています。駅の北に広がるのは、約3万年の歴史をもつ山門水源の森。あぢかまの里名物としては、「鮒寿し茶漬けセット」や、「鴨そば」「琵琶ますの煮付け・塩焼き」がある。

丸子船(西浅井町大浦
 西浅井は、古くより北陸と京都・大阪をつなぐ重要な交通路として人々の暮らしと関わってきました。大浦・菅浦・塩津浜の三つの港を有し、陸上と湖上運輸の中継地でもありました。その湖上水運の主役を務めたのが丸子船でした。

岩熊(やのくま)トンネル
 西浅井町にあり、永原-塩津間を結ぶトンネル。
永原駅から直線距離で約2.5km。 新旧二つのトンネルが並んであり、新トンネルは796mで県内10位の長さ。

菅浦の湖岸集落

 琵琶湖の北端は「奥琵琶湖」と呼ばれ、湖岸まで山がせり出しているその地形は、北欧のフィヨルドのような美しさ。永原駅から南に下がり、湖に映る木々が美しい並木通りを進むと、「隠れ里」と称される菅浦に辿り着く。かつての監視門であった茅葺きの四足門をくぐると、そこは懐かしい漁村の風景が広がります。


  
 

 
里山シリーズ⑮ 岩戸山十三仏から箕作山を経て太郎坊宮へ 安土駅~近江鉄道八日市駅 14km  記
2018年10月21日
(日)  快晴   106名 

     安土駅(集合)~旧安土町役場~元気園~岩戸山十三仏~箕作山~太郎坊宮~八日市駅(解散)

    近江鉄道 八日市駅=近江八幡駅 約19分 

 
 今季最高のウオーキング日和。安土に止まる電車からどっと人が降りてこられたと思うと殆どが今日の参加者であった。
 出発式では詳しいコース説明があり、山登りの注意点など話す。
 安土駅から信長が切り開いたという南腰越えを経て石寺の楽市楽座まで休み無く歩く。楽市楽座では地元の野菜が並べてあり、ネギを買って旗の替わりにリュックに挿して歩く人も。
 
 目指す岩戸山は目の前だが、登り口まではまだまだだ。奥石神社の前を通り過ぎ静かな中山道をしばらく行くと、弘法大師の伝承のある轟橋にさしかかり、岩戸山へ近道の道しるべがある。川に沿って進むと大豆畑やいちごハウス、養鶏場など広々した田園風景が広がる。山の麓に沿って行くと登山口に着いた。
 
 登山口から十三仏迄の参道の石段(880段)は厳しい。足元ばかり見て両脇の石仏は目に入らない。この参道には四国八十八ヵ所の石仏の他に、紅白のさらしでつくった注連縄を大岩に巻いてある磐座が見られる。他にも山の中に山之神や水神、不動尊、ガン取り大神など石に洞得た大小の神がたくさん祀られている。(以前案内して貰って一つ一つ見て廻ったが、今回は歩くのに必死で見る余裕がなかった。)
 突然大きな岩が眼前に現れる。やっと、十三仏のある大岩に到着。眼下に安土の集落、新幹線、近江八幡の山並みと西の湖、その向こうにブルーレイク、そして背景に比叡山・比良山系が連なる。鳥瞰図のような素晴らしい風景に満足。ここで昼食。
 大磐に彫られた十三仏は祠に覆われ拝むことは出来なかった。この大磐を乗り越えると、尾根道になる。岩戸山(325m)に到着。 一息ついて次の小脇山(372m)に向かう。21号台風の影響で根こそぎ倒れた大木や枝などが目に付く。アップダウンを繰り返し、箕作山(372m)に到着。360度ののパノラマが広がる。晴れ晴れとした気持ちになる。来て良かった。
 
其処からは緩やかな下り道になっていて楽に太郎坊宮までいく。太郎坊宮では阿賀神社に参拝し、八日市の町、蒲生野の景色を堪能する。太郎坊宮からは自動車道を下り、八日市駅に着く。参加者の皆さんは怪我もなく無事に帰ってこられ何よりでした。

 登山道も歩けるように整備され、山の手入れをして下さった人たちに感謝です。ありがとうございました。

 次回は、琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑧「高月駅~永原駅19km」戦国の歴史の宝庫を10月28日(日)
高月駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。

 太郎坊山の中腹には、阿賀神社があり、太郎坊宮の名前で知られています。太郎坊とは、京都の鞍馬山に住む次郎坊という天狗の兄といわれ、この山が修験の山であることを物語っています。

  
    開始式・コース説明(安土駅で)       岩戸山300m(左)小脇山373m、箕作山374m(奥)                                      太郎坊山350m(尖った岩山)

  

  
      880段の石段を登る                   岩戸山途中の石仏

  
                    岩戸山途中の石仏

  
                      岩戸山途中の石仏

  
         岩戸山頂上                    岩戸山から展望

   
          岩戸神社からの眺め        岩戸山から近江平野を望む(瓶割山、雪野山、鏡山)

   
             岩戸山十三仏

   
                               太郎坊宮までは緩やかな下り坂







 
平日ファミリー大津なぎさウオーク(歴史の跡を巡る) 大津駅~大津京駅 12km  記
2018年10月16日
(火)  晴れ   126名 

        大津駅~浜大津~大津絵の道~皇子山~大津京~宇佐八幡宮~宇佐山城~大津京駅

  小島会長のあいさつとコース説明の後、大津駅長から話と完歩賞の授与(10回・20回・30回・50回)がありました。準備体操をして10時15分にスタート。30m道路を下り、大津港で休憩。

浜大津ターミナルの階段を降り、大津絵の道(江若鉄道廃線跡)を歩き、皇子山陸上競技場の横を通り、京阪電車の踏切を渡って大津市役所・消防署前を歩き、近江神宮に11時頃に着きました。

15分程休憩の後、保育園横の道から宇佐八幡宮を目指しました。健脚の方は宇佐山城まで坂道を歩きました。昼食は近江神宮周辺で摂りました。

 13時に出発し、ゴールの大津京駅には13時20分頃着きました。朝のうちは、風が冷たく感じましたが、徐々に青空が見えてきて、ウオーキング日和になりました。

本日はお疲れ様でした。次回は、「里山シリーズ⑮十三仏から箕作山(みつくりやま) 14km」を10月21日(日)安土駅9時30分集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。

  
   
     大津駅長の話                    参加のみなさん

 
 
         大津港のお祭り広場近くで                       大津絵の道の始まり

   
         マンホールの大津絵(藤娘・鬼の寒念仏)

   
           大津絵の道終わり                             皇子山
                                         
   
             近江神宮で休憩・昼食             宇佐八幡宮、宇佐山城跡から戻ってきたウオーカー

                   宇佐八幡宮社殿                            宇佐山城跡  

ビューポイント

 宇佐八幡宮城跡

 宇佐山城跡は、近江神宮近くにある宇佐八幡宮、そこからもっと山を登って山頂付近のテレビ塔の所にある。

宇佐山城は1570年織田信長が家臣の森可成に命じて築かせた城で、近江国から京へ入る道筋を押さえる為に築いたものと云われる。1570年9月朝倉義景・浅井長政の連合軍が坂本へ押し寄せると、森可成は城を出て坂本で迎え撃ち討死した。連合軍は、宇佐山城へ攻め寄せ放火したが、攻め落とすことはできなかった。摂津から急ぎ京へ戻った信長は宇佐山城へ入り連合軍と対峙したが、膠着状態となり和議となった。

 信長は明智光秀を宇佐山城主とすると、延暦寺の焼き討ちなどを命じた。1571年明智光秀は坂本の地に坂本城を築いて移り、宇佐山城は廃城となった。

 





 
第23回高月観音の道 高月駅~高月駅 14km    記
2018年10月14日
(日)  晴れ   84名 

        高月駅(集合)~東柳野薬師堂~磯野寺~東物部光明寺~東高田赤分寺~唐川赤後寺
       ~井口円満寺~井口理学院~柏原阿弥陀堂~渡岸寺観音堂~高月駅(解散)


 高月の「観音の里ふるさとまつり」は以前8月の第1日曜に開催されていましたが2016年から10月の第2日曜に開催されるようになりました。高月町には、渡岸寺の国宝十一面観音をはじめ重要文化財の著名な観音様が沢山おられます。普段は無住のお堂が殆どですが、この日は各集落のお堂の扉が一斉に開かれ明りが灯り、お花やお供物が供えられ美しく飾られます。
 戦国時代多くのお堂が戦火で焼失しましたが、村人が仏様を川に沈めたり、土に埋めたりして必死に守ってきたと言われています。この為金色に輝く華やかなお姿は見られず、黒く汚れていたり、手なども無くなった痛ましいお姿の仏さまもおられます。
 近年は仏像ファンも多く沢山の老若男女がお参りされるようになり、この日は村人が「ようお参り」と迎えて下さり、湯茶やお菓子の接待をして下さいます。

 ことのほか暑かった猛暑が去り、秋晴の好天に恵まれ、絶好のウォーキング日和となりました。 高月駅東口はお祭りの実行委員会の受付やバスツアー利用のお客さんで大混雑の為、私たちは西口に集合、9時45分頃から出発式をして10時にスタートしました。
  朝の内は少し曇っていて肌寒いくらいでしたが、日が昇るにつれ気温は上がり、歩き始めると汗ばむ陽気となりました。
  最初に訪ねた東柳野の薬師堂までは約35分の道のり、少し速足で歩いた為「早い、早い」とブーイング。沢山の観音様を回り、帰りの電車が1時間に1本しかない為、予定通り回れるか心配でつい急いでしまい申し訳ありませんでした。
  ここからは磯野寺、東物部光明寺、東高田赤分寺、唐川赤後寺と巡りましたが、それぞれ1キロ余りと近いので予定通り回る事が出来十一面観音様や薬師如来、千手観音様と趣の違う観音様を拝見された事と思います。予定していた横山神社が台風21号で被害を受け、珍しい馬頭観音様を拝する事が出来なかったのは残念でした。

 唐川赤後寺で約50分拝観と昼食時間を取り、12時50分に出発しました。
 唐川の集落外れで今年6月巨木巡りウォークで案内させて頂いた、杉の巨木が9月4日の台風21号で倒れていました。幹回り7.6メートル高さ23メートルの杉の木が西側の民家の大屋根と庇を直撃し大変な被害でした。すでに倒木は撤去されていましたが根本の大きさには驚きました。樹齢400年以上と言われていただけに根元には大きな空洞が見られ、台風の威力に耐えられなかった事が伺えました。

次の井口の円満寺までは3キロ余り、食後なのでゆっくり歩きました。円満寺参拝の後は残り3ケ寺、柏原阿弥陀堂でIVVJRふれあいカードを配布し、最後の渡岸寺の観音堂には予定より早く2時40分頃到着出来ました。メイン会場の観音堂は沢山の屋台も並び多くの人で賑わっていました。ここで解散という事で皆さんそれぞれ自由に参拝頂き、スタンプラリー用紙を提示してささやかな景品を頂かれたと思います。

 国宝十一面観音様は関西にのみ7躰(奈良3 京都2 大阪1 滋賀1)おられますが、渡岸寺の観音様が最も美しいお姿をされていると言う事で仏像好きの人には魅力の仏さまです。参加の皆さん拝観頂いたでしょうか 
 秋晴れの爽やかな1日、湖北の観音めぐりのウォークを無事終える事が出来ました。有難うございました。
 次回は、

参考資料

「観音の里」と称される長浜市高月町。
 東には己高山がそびえ、西の琵琶湖へ流入する高時川、余呉川などの豊富な水量に恵まれた肥沃な田園地帯。
高月町の歴史はたいへん古く、琵琶湖のある西側には古墳時代の姿を今に伝える「古保利古墳群」があり、東側にそびえる己高山は近江国の鬼門にあたる場所で、古代からの信仰の深い場所。都から伝わった中央仏教に加え、北陸の白山信仰、琵琶湖対岸にそびえる比叡山の影響を強く受けながら観音信仰を基調とした独自の「己高山仏教文化圏」がこの地に構築されました。
 その当時のお堂や仏像は戦乱により多くが焼失しましたが、その中で戦火をくぐり抜けた一部の仏像は高月町内のお堂に今も遺されています。
 それらのほとんどが、仏教文化圏として隆盛を極めたであろう平安時代~鎌倉時代の作というのだから驚きです。
しかし、高月町内では常に住職がみえるお堂というのは数えるほどしかありません。ほとんどが無住となってしまいその中に入ることも仏像を拝見する事もできません。
そういった無住のお堂を管理されているのが、それぞれの集落にいらっしゃる「世話人」「世話方」と呼ばれる地域の方々です。私達と同じように日常生活を送りながら、無住となったお堂と仏像のお世話をされています。

  
  
            東柳野薬師堂                     東柳野薬師堂の観音像                   

  
              磯野寺                             静かな山里を歩く                             
  
         光明寺千手観音像              柿をいただきました

  
                 赤分寺                  赤分寺十一面観音像                  

    
       赤分寺の森                唐川赤後寺本堂

 
         赤後寺参道                 茅葺き屋根の民家(唐川)

  
        井口円満寺堂内                   井口理学院

  
        百体観音像                    井口弾正邸宅跡

  
      柏原阿弥陀堂          柏原阿弥陀堂入り口のケヤキ
 
  
           渡岸寺境内               渡岸寺十一面観音像

 ビューポイント

長命寺薬師堂(東柳野)
 東柳野地区は、姫塚古墳という滋賀県最大の前方後円墳があることで有名な集落。ここは琵琶湖畔にあった阿曽津という津波で湖に沈んだという大きな集落の人々が移り住んできた土地です。

磯野寺
 磯野寺は聖徳太子が開いたと伝わる古刹です。山号の赤見山とは、かつて神仏習合時代には延喜式内社赤見神社の新宮寺であったことによるもので、今もその名残として境内を共有しています。

理覚院
  高月町に井口(よみ)という集落があります。そこに富永小学校があるのですが、その正門の横に「井口弾正邸宅跡」と書かれた石碑があります。そこから少し南下すると、理覚院というお寺があります。元々は、「己高山 長安寺」というお寺がこの地にあったそうで己高山仏教を支える一寺院として平安・鎌倉時代に栄えていたそうです。しかし、戦国時代になると、このあたりの他の社寺と同じように度重なる戦乱で多くのものを失います。そしてわずかに残った一坊がこの理覚院です。

井口弾正
  井口氏はこのあたりを拠点とした土豪で、佐々木氏や浅井氏とゆかりの深い一族です。高月地方の水利権を握っていた一族です。井口弾正は、浅井長政の義祖父、浅井三姉妹の曾祖父にあたります。

百体観音像
  百体観音像が安置されているのは、湖北地方で唯一、この理覚院だけです。理覚院の百体観音は全国の三十三所巡礼のうち、西国、板東、秩父といった人気の三十三所観音霊場の観音像のうつしが置かれています。







 
第七回大津祭ウオーク 大津京駅~大津駅 10km    記
2018年10月7日
(日)  晴れ   参加人数 123人 
   

 大津京駅(集合)~大津京跡~皇子が丘~三井寺~長等公園~浜大津(巡行見学)~大津駅(解散

 心配していた雨も止み、いつものように会長挨拶、コース説明の後、準備体操をして10時前に大津京駅前を出発。湖西線側道をしばらく歩き、京阪電車近江神宮の踏切を渡り、住宅街を通って近江神宮前に出る。台風21号の影響で木々の枝が折れているのが目に付きました。その後、錦織町、皇子が丘、市役所前を通り、10時40分頃、三井寺山門前に着き、11時まで休憩。IVVとふれあいカードを配布する。三尾神社を抜けて長等神社、長等公園、大津日赤前から電車通りを浜大津の方へ歩いていくと、コンチキチンの祭り囃子の音が響いてきました。11時20分頃から、みなさん、大津祭りの鑑賞です。ゴブラン織りの貴重な幕やからくり人形を飾った曳山の写真を熱心に撮っておられました。
 
 大津祭りは、江戸初期から続く天孫神社の祭礼で、古くは四宮祭と呼ばれていました。商業都市大津の繁栄や町人文化を伝え、瑚国三大祭りに数えられています。午前9時、同神社に集合した曳山13基は、くじ取らずの「西行狸山」を先頭に出発。くじ一番の「月宮殿山」が続きます。約100年ぶりに東方朔人形の衣装を新調した「西王母山」は、金糸や金箔を用いた華やかな衣装が輝きを放っていました。見物客は、コイの滝登りや、恵比須さんのタイ釣りといった巧妙なからくりに拍手を送り、曳山からまかれる厄除けちまきに手を伸ばしていました。
 
 13基の曳山は、毎年組み立てては解体するもので、県下の曳山では例を見ません。
珍しいのは曳山で使うからくり人形です。大津祭に導入されたからくり人形や見送り幕、屏風は、全国的にみても最古の部類であり、しかも、一流の細工師によって造られたもので日本芸能史においても注目されています。

 今年も、大津港周辺でB級グルメの店が数多く出店しており、食事をされた方も多かったのではないでしょうか。

 次回は、「第23回高月観音の道」を10月14日(日)(高月駅から高月駅14km)に高月駅9時30分集合
で実施します。皆様多数の参加をお待ちしています。


  
       受付風景 大津京駅              出発式   会長あいさつ

  
         準備体操                      大津京駅から出発

  
        近江神宮近くで                    長等公園近くで

  
    郭巨山(かっきょやま)      笛や鉦を鳴らし、祭りを盛り上げる囃子方

ビューポイント

宵宮
本祭の前日の10月6日(土)午後1時ころ宵宮曳きが行われます。このときも囃子方が乗り込み、祭本番が近づいていることをアピールします。コースは町内周辺で、4時ころから大吊り提灯の準備を始めます。時間は午後6時。宵宮になると、笛・太鼓・鐘の「コンチキチン」のお囃子で盛り上がります。無数の提灯に曳き山が優美に浮かび上がります。夕刻から からくり人形などの曳き山飾りが各町の役員宅に飾られ、道路から見学できます。源氏山(中京町)は今年創建300年を迎えました。少子高齢化などの影響で担い手の減少が進み、旧中京町でもこの40年で人が住む家は25軒に半減し、囃子方の約8割は町外の人だそうです。

山建て
 本祭の一週間前の9月30日、山蔵から曳き山が出され組み上げられます。全部の曳き山は、江戸時代から受け継がれ、とても大切にされています。大津祭では、この組み上げ作業を公開していますが、台風の影響で6町は行いましたが、残りの7町は6日早朝より行われました。この日、昼から夕方にかけて曳き始めが行われます。各町内ごとに組み上がった曳き山から順番にお囃子をしながら町内周辺を回りますが、台風の接近で中止になりました。

総囃子
 大津祭で奏でるお囃子(はやし)を仕上げる「総囃子」が29日夜、曳山町でありました。鉦や太鼓、笛の音が町内に鳴り響き、祭りムードを高めました。総囃子は、くじ取り式の夜から本格的に始まった練習の成果を住民に披露するものです。
  
          練習の成果を披露する総囃子                       山建て

 
   無数の提灯に曳き山が優美に浮かび上がる宵宮                 宵宮飾り





  
琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑦ 長浜駅~高月駅  19km   記   
     2018年9月23日(日) 晴れ       

   長浜駅~産直びわみずべの里~奥琵琶湖スポーツの森~道の駅「湖北みずどりステーション」~高月駅

 好天気に恵まれ、熱中症を心配しましたが、昼前から日が陰ってきたので、気持ちよく歩くことができました。産直びわみずべの里では、イベントを行っており、大勢の子どもたちで賑わっていました。
次回は、「第7回大津祭ウオーク」を10月7日(日)(大津京駅~大津駅10km) 大津京駅9時30分集合で実施します。
皆さま多数の参加をお待ちしています。


 
   受付場所に向かう参加のみなさん                        受付風景

 
           開始式                                   準備体操

 
       S班のみなさん                              A班のみなさん

 
        B班のみなさん                              C班のみなさん

 
        長浜城歴史博物館                            湖岸を歩く

 
          湖岸を歩く

 
         小白鳥の乱舞

 
                                             産直びわみずべの里

  
                             奥琵琶湖スポーツの森で昼食


 
                         奥琵琶湖スポーツの森を出発

  
                道の駅「湖北みずどりステーション」

 
   湖北の水鳥                    琵琶湖屈指の夕陽絶景スポット


  


  


  


  


  


  
          ゴールの高月駅                        クロアゲハと彼岸花

 


 




 
枝豆収穫祭ウオーク  14km        記
     2018年9月22日(土)   晴れ       

      マキノ駅~メタセコイア並木~マキノピックランド~枝豆畑~近江中庄駅

 広い畑で枝豆を収穫しました。今年は例年に比べ生育が良くなく、豆が小さいようでした。でも、家でゆがいて食べると美味しかったという声を聞きました。


 
  
   メタセコイア並木を駆け抜けるランナー                マキノピックランド(農業公園)


 
平日ファミリー 大津なぎさウオーク(午王さんの日)12km  記
     2018年9月18日(火) 晴れ      


 大津駅~浜通り~石場~なぎさ公園~サンシャインビーチ~膳所城趾公園~石山寺~石山駅

  湿度が高く蒸し暑い天候の中を歩きました。13時に石山寺山門に着きました。
       次回は、「枝豆収穫祭ウオーク」を9月22日(土)(マキノ駅~中庄駅14km)を
      マキノ駅10時集合で実施します。皆さま多数の参加をお待ちしています。


  
         説明を聞く参加のみなさん                         会長あいさつ

  
        大津駅長から授与                               準備体操

  
      集合写真に収まる参加のみなさん                   浜通りを歩く 中央小学校前

  
     石場の常夜灯に見入る参加のみなさん                  なぎさ公園で休憩

  

      膳所城趾公園で会長の説明を聞く                       昼食休憩

  
         膳所城趾公園を出発                           日本遺産 石山寺
  
           石山寺山門前                         秋月祭ポスター    

   






 
    朝鮮通信使の道を歩く③ 稲枝駅~彦根駅 15km    記  
2018年9月16日(日) 曇り  80名    

   

前年度に行ったイベントですが、台風の影響で参加者が少なかったので、今回もう一度実施することにしました。朝鮮通信使の通った日朝友好の道。最終回です。朝鮮通信使は、室町時代に始まり、豊臣秀吉の朝鮮出兵で中断しますが、徳川家康が戦後処理で再開した1607年から1811年まで12回続きました。
 朝鮮人街道は野洲市行畑で中山道から分岐し、近江八幡を経て彦根市の鳥居本で再び中山道に合流する41.8kmの街道です。徳川家康が途絶えていた朝鮮国との友好関係を修復して以降、幕府の将軍が代替わりするたびに、国王の親書を携えて朝鮮通信使が来日しました。
 徳川家康が関ヶ原の合戦に勝利し、凱旋した時に通った特別な道で、大名行列でさえ通ることを禁じられていましたが、外交使節である朝鮮通信使には通行が認められたことから「朝鮮人街道」と呼ばれ、今もその名を残しています。

 少し雨が降りましたが、殆ど曇天で、湿度が高く汗が蒸発しにくいコンデイションの中でのウオークでした。
 稲枝駅を9時50分に出発し、彦富町交差点を右折。稲部町、金沢町から道は真っ直ぐ続いており、これは条里制の遺構と言われています。山崎山まで来ると、県道は右にカーブして行き、旧道は県道と別れて直進します。山崎山の裾(荒神山のふもと)を左折し、集落に入って行くと、右手に、「国昌寺」「仏性寺」がありました。
 

この辺りには近江八幡で昼食を摂った通信使一行が休息をとる山崎御茶屋があったそうです。左手の山側に、清崎、賀田山両村の産土神を祀る天満天神宮が立っています。近郷の総社にして旧彦根藩の氏神です。

 宇曽川(江戸時代に彦根藩の年貢米を回送)に架かる天満橋を渡り、日夏町、堀町を過ぎ、左折して進むと、その先右手に朝鮮人街道と書かれた看板が立っています。左手に西国三十二番札所観音正寺の湧き水があり、横に赤い鳥井と稲荷神社の小祠があります。安食川に架かる横川橋を渡り、県道2号を左折します。 

次に、日夏町中沢交差点を横断し、条里制の遺構という道を真っ直ぐ進み、今度は、甘呂町東交差点を右折し、やがて坂を上り切ると、犬上川の堤防になり、犬上橋を渡ります。坂を下り、右手に「十王の名水」というのがありました。池になっており、中には六角形の屋根を持つお堂があり、母乳地蔵尊が祀られています。環境庁の全国名水百選にも選ばれているそうです。昼食は西今自治会館で摂りました。 

 平田町を進むと前方に雨壺山が見えてきました。山の裾を左に回って進むと、鳴宮天満宮があります。次に後三条町に入ります。ここは、かつて後三条天皇の勅旨田が存在したことによるとか。街道はまもなく芹川を渡ります。芹川橋より下流の両岸は芹川の土手を強化するために樹齢300年前後の美しいケヤキ並木になっています。 

いよいよ彦根城下町に入りました。彦根の城下町は、築城とともに進められ、1622年頃には、ほぼ主要な町割りは完成したと言われています。「銀座町交差点」を左折し、銀座町に入ると、信号の所に「久左の辻」の石碑が立っています。江戸時代、この辺りに住んでいた豪商近藤久左衛門の名に由来して、ここを久左の辻と呼んでいたと言われています。

ここから街道は左折して商店街の中を進みます。右手に滋賀銀行があり、その裏に「長光寺」があります。ここには木造毘沙門天立像が安置されています。高宮口御門跡を右折し、中央商店街に入ります。彦根城の東側を真っ直ぐ進んで行きます。この通りの両側には藩主井伊氏にゆかりの深い寺院が点在しています。 

彦根藩初代藩主井伊直政の菩提を弔うため開かれ、直政の供養塔がある長松院や蓮華寺、来迎寺。「夢京橋キャッスルロードに面しているのが「宗安寺」。朝鮮通信使の上使が宿泊した寺で、近江八幡の本願寺別院に相当する寺であると言われています。

朱塗りの山門は赤門と呼ばれた門で、石田三成の居城の佐和山城の大手門を移築したもので、本尊の阿弥陀如来は大阪夏の陣で、大阪城より持ち出された淀君の念持佛で、「李朝高宮肖像画」が伝わっています。また、境内には、大阪夏の陣で戦死した木村長門守重成の首塚があります。
 
 彦根観光センターに13時過ぎに着き、解散となりました。
 

  *「枝豆収穫祭ウオーク」(マキノ駅~中庄駅14km)の日時が変更になりました。

   9月22日(土)マキノ駅10時集合で実施します。

  
          稲枝駅に集合                                準備体操

   
          稲枝駅前を出発                          曇天の中をウオーク


  
             仏性寺                  道標[左の奥山寺とは荒神山神社のこと(神仏分離令による)]

  
         天満橋を渡る                                赤い鳥居

  
            天満天神宮                              十王の名水(湖東三名水)

   


   
              鳴宮神社                          樹齢300年のケヤキ並木

   
           右彦根道 左中山道                       彦根城外堀の説明 「高宮口」
 
   
                久左の辻                       長光寺の木造毘沙門天立像

  
 
          井伊直政の供養塔がある長松院                     蓮華寺

    
    井伊家ゆかりの宗安寺(佐和山城の大手門を移築)       木村長門守重成の首塚

   
    

    



 
    第5回 おごと温泉びわ湖パノラマウオーク    記  
2018年9月8日(土)~9日(日)曇り時々強い雨 参加者 796名 

  
  あいにくの雨になりました。参加のみなさんにとって、期待しておられた近江八景の眺望や、ケーブル・比叡山からの琵琶湖や対岸の展望等、景色を楽しむウオークからはほど遠いものになりました。それでも雨に濡れながら最後まで完歩されたウオーカーの姿を見て感動や勇気をもらいました。来年の好天気を期待して引き続きご参加よろしくお願いします。
 
近江八景・日本遺産コース30km

 石山駅~石山寺~瀬田唐橋~建部大社~膳所城趾公園~大津港~三井寺~近江神宮~日吉大社~西教寺~(明智光秀ゆかりの寺)~おごと温泉観光公園

  
    石山駅広場で 開始式を待つ参加のみなさん               肌寒い日になりました

 
                受付                             小島会長のあいさつ

 
       石山駅に集合した参加のみなさん                    雨の中の準備体操

 
               石山寺                                近江大橋
 
              建部大社                        西教寺に眠る明智光秀一族の墓

琵琶湖眺望・烏丸半島探訪コース10km

   
 雄琴湖岸緑地公園~船~烏丸半島(琵琶湖博物館・琵琶湖水生植物園・草津道の駅)~船
 ~おごと温泉観光公園


  
       開会式 ・雄琴湖岸緑地公園                         いよいよ出発

 
      雄琴港桟橋に向かう参加のみなさん                    湖上遊覧を楽しむ

   
            烏丸半島に到着                           給水ポイン

 
            スタンプポイント                               参加人数

琵琶湖・近江八景眺望コース28km
   
 南草津駅~旧草津川~志那~烏丸半島~琵琶湖大橋~浮御堂~衣川緑地公園~おごと温泉観光公園

 
          南草津駅前広場                         自転車・歩行者専用道路

 
          台風の爪痕                               烏丸半島の風車

 
           白鷺の乱舞                              琵琶湖と釣り人

 
     
  ピエリ守山                       ピエリ守山港

 
        
台風の爪痕                    堅田の浮御堂

 
                 
ゴール会場 雄琴温泉観光公園 






第4回 KBCウオーク くつの日 滋賀大会 「琵琶湖畔を歩く」  
2018年9月2日(日)晴れ 参加者 約420名 20km・10km

 
20km  石山駅(集合)―石山寺前―瀬田川洗堰―アクア琵琶―瀬田唐橋東詰―近江大橋―サンシャインビーチ
     ーなぎさ公園―大津港―イオンスタイル大津京―大津京駅(解散

10km   石山駅(集合)―膳所城趾公園―サンシャインビーチーなぎさ公園―大津港―イオンスタイル大津京
     ―大津京駅(解散)                                                

 前日は少し雨が降り涼しくなったので、ウオーキング日よりを期待していましたが、暑い日になりました。
それにも関わらず多くの参加者
(420)で松尾芭蕉像前の広場は一杯です。

 KBC植田会長の挨拶等のあと、松尾芭蕉に送られ石山駅を9:25分にスタート。名刹石山寺前を通過し、南郷洗堰の「アクア琵琶」のチェックポイントで一休み。 先頭集団の数十名は休むことなく一目散に次へと通り過ぎて行く。
 そのあと瀬田川沿いの「夕照の道」を北上し、近江大橋を渡り、琵琶湖湖岸のなぎさ公園、大津港を経由しJR大津京駅前の「イオンスタイル」に無事ゴール。ゴール後の抽選会ではウオーキングシューズや万歩計等の豪華賞品があり、靴が当たった20名の歓喜の声が轟いていました。ラッキーな靴の日でよかったですね!! 
 KBC関係者、スタッフの皆さん暑い中本当にご苦労さまでした。
 
 次回は、「第5回おごと温泉びわ湖パノラマウオーク」を9月8日(土)から9日(日)に行います。
 皆さま多数の参加をお待ちしています。

 
  
     石山駅に向かう参加のみなさん                 受付風景

  
     石山駅広場に集う参加のみなさん                受付風景

  
           交流風景                  KBC植田会長のあいさつ

       
          開始式                      小島会長のあいさつ

    
           開始式                       開始式

    
      コース説明をする馬場副会長                入念に準備体操          

    
          準備体操 膝の回旋          出発後、湖岸に向かう参加のみなさん

  
                     琵琶湖岸を歩く

    
         名刹石山寺                     旧瀬田川洗堰

       
        瀬田唐橋                        船幸祭の船渡御

        
    なぎさ公園サンシャインビーチ                    大津港

    
      ゴール後のお楽しみ抽選会         渡す方も受け取る方もうれしそう。何が当たったかな

   ビューポイント
 船幸祭
 今年も8月17日に建部大社の神事として行われました。瑚国に夏の終わりが近づいたことを告げる祭りとして地元で親しまれている「船幸祭」。建部大社の祭神であるヤマトタケルノミコトが船団を従え、海路をたどったという故事に基づき瀬田川を海路に見立てて、船渡御が再現されました。





 
    琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑥能登川駅~彦根駅  記    
2018年8月26日(日)晴れ  222名   20km

  
         出発前のひととき                   受付風景

  
           出発式                     S班のみなさん

  
          A班のみなさん                 B班のみなさん

   
          C班のみなさん                   準備体操

  
          準備体操                      準備体操

  
                       炎天下を歩く

  
                      休憩/水分補給

   
          柳川緑地公園で休憩                多景公園で休憩

  
          多景公園で休憩                  湖岸めざして

 東近江市の文化遺産
   
   塀越しに庭木があふれ静寂な趣のある通り      建物と一体化したカワト(旧外村宇兵衛邸)

   
     船板塀が特徴的な蔵           勝徳寺前の水路にある川中地蔵

  
     正厳寺と田舟のある集落内の風景      清らかな湧き水が流れる水路で水遊びの子どもたち

  
         鯉が泳ぐ水路              神郷亀塚古墳・日本最古級の前方後方墳

ヴューポイント

能登川水車とカヌーランド

 かつて能登川では、水車が農業などに活用されていて、一時は36基も水車があった。その後姿を消したが、1991年にシンボルとして1基復活し、能登川水車とカヌーランドが整備された。園内には13mもの大水車、資料館、芝生広場、レンタルカヌーなどがあり、多くの家族連れで賑わっている。

伊庭内湖

 葦原が広がり、野鳥や魚類の生息地となっている。町南部には、猪子山、観音寺山などがそびえ、東近江市、および安土町との境界をなす。東近江市との境界には和田山、旧安土町との境界には安土山もある。

伊庭の水辺景観


 2015年、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観ー祈りと暮らしの水遺産」を構成する一部として認定された。

 江戸時代には、旗本の陣屋がおかれた「伊庭城跡」、現在の勤節館を中心に、瓜生川から引かれた水路が町を縦横に巡っている。 現在は埋められている水路もあるが、大部分はそのまま残り、今も豊かで美しい水が流れている。水路では鯉が飼われている他、小魚や昆虫などさまざまな生き物の姿が見える。
 各家には「カワト」と呼ばれる川へと通じる石段があり、食事の支度や洗濯、風呂の水汲みなどを行うとともに、船の係留する船着き場として用いられていた。

伊庭の坂下し祭

 5月4日に行われる近江の奇祭の一つ。三基の神輿を氏子の若衆が引きずり降ろす神事。全長約500mに及ぶ坂道は断崖絶壁で、途中何箇所かの難所がある。難所では手に汗握る危険な見せ場となる。 

神郷亀塚古墳

 日本最古級の前方後方墳。全長36.5m。高さ推定約5.3m。3世紀前半に築造され、弥生式土器が発掘されている。
北向岩屋十一面観音

 猪子山山頂にある岩やに安置されている観音。坂上の田村麻呂が武運を祈願したとされる。






 
    平日ファミリー 大津なぎさウオーク (たそがれウオーク)    記    
2018年8月8日(水)   晴れ  参加者100名  12km

 

         大津駅(集合)―長等公園ー三井寺ー大津京駅ー高架下ー県道ー近江神宮ーびわ湖大津館
        ―大津港―琵琶湖ホテル横の階段ー大津駅(解散)

 
     次回は、琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑥を 8月26日(日)能登川駅9時30分集合で実施します。
    彦根駅まで20km歩きます。
     皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

      *お詫び 「イベント概要」の欄で、本日、ミシガン乗船と誤って記載しました。楽しみにしておられた方には、たいへんご迷              惑をお掛けしました。申し訳ございませんでした。

   
                   陽差しもやわらぎ始める頃大津駅前広場に参加されたみなさん

   
            参加されたみなさん                         大津日赤前の犬塚のケヤキ

   
        犬塚のケヤキ                 弁慶の引きづり鐘

    
     湖上から吹く爽やかな風に癒されて(大津港)                 8/7びわ湖花火大会


 ビューポイン  

 犬塚の欅

 大津日赤のすぐ近くにある巨大な欅(けやき)の老木は、「犬塚の欅」と呼ばれ、市の天然記念物に指定されています。 室町時代、浄土真宗発展の礎を築いた蓮如上人が京都から難を逃れて大津の地に入ったとき、その人気をよく思わなかった他宗の門徒たちに毒殺されようとしたとき、忠犬が身代わりになって死んだので、ここの犬を埋めた塚にケヤキを植えて弔ったということです。






    琵琶湖一周健康ウオーキング2018⑤  彦根駅~長浜駅    記    
2018年8月5日(日)   晴れ  参加者 213名  15km

 

 熱中症厳重警戒が発令されている最中、十分な準備と覚悟をしてきたであろうウオーカーが彦根駅に集合。
スタッフは普段以上に念入りな諸注意を述べてから順次出発した。

 金亀公園を通り、彦根港、松原水泳場へと進む。この辺りから左手に琵琶湖が続き、湖面からのさざ波や、時折吹くそよ風を感じて幾分暑さが和らぐ気がした。小刻みに通常の倍くらいの休憩タイムを取り、水分補給を促した。  
「近江母の郷」に到着して、スタンプ押印と昼食タイム。ここまで3分の2を歩いたことになる。

午後は「近江の館」に立ち寄り、甘酒などの接待を受けてほっと一息!
 「あと少し!」と声を掛け合いながら、長浜鉄道スクエアでスタンプ押印とIVVを手渡し解散。各自長浜駅を目指した。
  何はともあれ、ひどい熱中症でダウンする方もなく完歩されたが、いつものペースが出ない方も多く、ここまでの酷暑のなか、無理をしてウオーキングするべきか考えた方もおられたかと思います。
 
 次回、8月8日(水)は「大津なぎさウオーク」(たそがれウオーク)大津駅16時30分集合です。
大津港からミシガンクルージングを楽しみます。乗船料は300円です。
お会いできることを楽しみにしています。

   
  
      近江高校甲子園出場                出発前の彦根駅前広場
 
   
            
体操                    S班のみなさん

   
         
A班のみなさん                   B班のみなさん

  
          
C班のみなさん                 彦根城界隈を歩く

  
       
お堀の こはくちょう                彦根城が見えてきた

  
        
夢京橋キャッスルロード              彦根港観光船乗り場

  
     
夏の風物詩・びわ湖のヨット                  多景島

  
                     
水分補給(磯公園)

  
   
鳥人間コンテストの様子(松原水泳場)           36度を示す電光掲示板

  
        
「近江母の郷」で昼食               午後の部スタート

  
         
長浜ドーム                   お茶の接待を受ける

  
            
伊吹山                     田んぼアート

  
            
高さ28mの青銅製の阿弥陀如来像・長浜びわこ大仏

   
          
慶雲館                     長浜鉄道スクエア
 

   
       
秀吉・三成出逢いの像(長浜駅前)             長浜駅ゴール

ヴューポイント

彦根玄宮園

 旧大名庭園。江戸時代初期に彦根藩主井伊直興が整備したと言われている。江戸時代後期には、第11藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整備された。園内は、中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝(唐時代)の離宮庭園を参考に作庭されたと言われている。

松原水泳場

 白砂の浜が1km続き、松林も美しい浅瀬の水泳場。鳥人間コンテスト選手権大会の会場としても知られている

多景島

 沖合約6.5kmに浮かぶ周囲約600mの小さな島。彦根市八坂町に属する。元は、島内に竹が多く自生していることから「竹島」と言っていたが、江戸時代に荒神山から土を運び植林した。木が成育すると島を眺める方向によって多様な景色が見えることから多景島と呼ばれる。
 弥生時代から島そのものをご神体として、古くから人々に崇められてきました。
1665年に長浜・妙法寺僧慈雲院 日請上人が島内に日蓮宗見塔寺を開寺する。島全体が花崗岩で形成されている。

滋賀県立長浜ドーム

 管理運営は財団法人滋賀県体育協会が行っている。2016年1月より2019年3月までの予定で「長浜バイオ大学ドーム」の愛称が使用される。

長浜バイオ大学

 2003年に創立した日本初のバイオ・生物学系単科大学。バイオ・生物系に絞った大学であることを生かし、実験・実習が多いカリキュラムが組まれている。企業に所属していた教員が多いのも特徴である。びわ鮎センターと共同で琵琶湖の固有種・ビワマスの餌を開発。この餌で養殖したビワマスは、従来のものより脂の乗りが良く、天然ビワマスにも匹敵する量となっている。

長浜びわこ大仏

 良畴寺にある28mの青銅製の阿弥陀如来像。琵琶湖を背にして琵琶湖のほとりに建っている。現在二代目の大仏で1994年に建立、開眼供養された。

慶雲館

 明治時代の長浜の豪商・浅見又蔵が明治天皇の行在所として建てた迎賓館。現在は観光施設として一般公開されている。近代日本庭園の先覚者・七代目小川治兵衛作の回遊式庭園(国指定名所)が有名。毎年1月上旬から3月上旬にかけて「長浜盆梅展」が開催され多くの人で賑わう。

長浜鉄道スクエア

 現存する日本最古の長浜駅舎を中心に、日本の鉄道文化初期の時代と長浜の発展を見ることができる。明治15年、当時の新橋駅を模して造られた。洋風階建ての建物。長浜鉄道文化館には、貴重な鉄道資料を展示。また、館内に鉄道模型運転コーナーがある。また、実際に北陸線で活躍したデゴイチやED70形電気機関車が展示されている。






 
    志賀大仏を巡る道      記    
2018年7月29日(日)   雨  参加者32名  14km


 
唐崎駅(集合)~弥生町~滋賀里~百穴古墳群~志賀大仏~桐畑古墳~大伴神社~近江神宮~三井寺~大津京駅

 台風12号の通過の朝、予定通り実施。JR唐崎駅から倭(しどり)神社、八幡神社を経て、百穴古墳、志賀大仏(おぼとけ)へ。桐畑古墳を訪ねた頃から降雨。近江神宮では激しい雨。
 急遽、昼食タイム。食事が終わっても雨降り止まず,足止め。大津京駅に近づいたところで流れ解散となった。
 参加された皆様、雨の中のウオーキング大変お疲れ様でした。
 

  
          唐崎駅集合                    志賀八幡神社

 
                    倭(しどり)神社

  
     滋賀里からだいぶ上がってきました           清涼感漂う小川のせせらぎ

   
            磨崖仏                   百穴古墳を巡る

    
    薄暗い竹林の中はひんやり            百穴古墳の外観

  
         百穴古墳内部                 志賀の大仏(おぼとけ)
                            
    
              阿弥陀如来座像に見入る参加のみなさん

  
         大伴神社鳥居                  桐畑古墳(熊ヶ谷1号墳)
  

 ビューポイント

 山中越(志賀越)の道祖神

 山中越は、京都と近江を結ぶ古くからのルートのひとつである。滋賀里から崇福寺跡・志賀峠を通り、山中町を経て北白川、京都へと通じている。この一帯は比叡山延暦寺に近く、東海自然歩道になっている。

 崇福寺に続く山道の入り口に、山中越(志賀越)の道中安全を見守る道祖神がある。とても優しい顔の仏さまは、「志賀の大仏(おぼとけ)」と呼ばれる阿弥陀如来座像。13世紀頃(室町時代)に作られた高さ約3mの石仏である。地元の方がよくお参りさているようで、お堂はいつも清潔で心地よい。お供え物もある。京都側でも、山中越が現在の今出川通りと交差する辺りに石仏が数体置かれている。

 百穴古墳群

 大津市の西部、比叡山の東麓一帯には、総数1000基を越えるともいわれる古墳が密集している。これら古墳の多くは、6世紀後半から7世紀前半に集中して作られ、石室の形や出土している副葬品などから渡来人の墓と言われている。
 「百穴」という名前は、石室の入り口が穴のように沢山見えていることから名付けられた。このような古墳が一面に広がり、薄暗い竹林と相まって、壮観な風景を見ることができる。
 石室の天井がドーム状なのが、百穴古墳郡の特徴である。現在は64基確認されており、すでに石室を覆っていた盛り土が流失してしまった古墳の石室の天井石が点々としている。

 桐畑古墳(熊ヶ谷1号墳)

 桐畑古墳は、10基が確認されている熊ヶ谷古墳郡中の1基で、古墳群内で最も規模の大きな石室を持ち、玄室の長さ5m、幅3.1m、高さ3.6m以上、羨道が長さ6m、幅1.4m、高さ1.6mです。玄室の天井石はありませんが、玄室の中央に立って上を見上げると、四壁(奥壁・左右側壁・前壁)が天井部に向かってすぼまっている様子がわかります。このような持ち送り構造を持ち、天井を1~2石で構成する形態が見られるのが、この比叡山東麓に広がる古墳群の石室の特徴です。また、玄室の奥にはお不動さんが祀ってあり、現在でも信仰の対象となっています。

 大伴黒主神社

 大伴黒主は、大友皇子(弘文天皇)の皇子で大伴性を賜ったという大伴与多王の子孫と伝えられる。大友の名は、当地の旧名滋賀郡大友郷に由来する。
 大伴氏はこの大友郷を本貫とする氏族で、黒主も滋賀郡司を務めたことがあって、「滋賀の黒主」とも称されていた。また、園城寺(三井寺)の神祠別当職を務めた。

 黒主は平安初期の代表的歌人で、いわゆる六歌仙の一人として知られている。917年宇多天皇の石山寺参詣の際、「さざら浪 間もなき岸を洗ふめり なぎさよくば 君とまれかし」と歌って大いに賞賛されたという。
 晩年の黒主は志賀山中で亡くなったと伝えられ、没年は明らかではない。  






 
    東海道ウオーク⑤ 大津宿から京の都に      記    
2018年7月22日(日) 快晴  参加者108名  12km


       コース 大津駅(集合)―大津宿~月心寺~井筒八つ橋追分店~ 蹴上浄水場~京阪三条駅(解散)

 
 連日の炎天続きで果たしてどれほどの参加者が来て戴けるか心配でしたが108名もの参加を頂き そのうち約半数が他協会と一般の参加者に参加して頂きました。
 
大津本陣跡の前を通り 蝉丸神社辺りから逢坂の関を越えて歩きましたが 江戸時代は
車石が敷かれたところを牛車が荷物を積んで都に向かっていたところで このような暑さの中でも働かなければならなかった牛さんのご苦労を偲びました。
 途中で八つ橋で有名な井筒にも立ち寄り 冷たいお茶の歓待を受け 買い物も出来ました。
 追分を過ぎて山科駅近くで昼食をしてから 更に東海道を辿り 最期の登りの日ノ岡峠を越えて京都の町に入りました。
 熱中症には特に気を遣い 水分補給を忘れないことをリマインドしたこともあり 熱中症も出ず全員無事に三条大橋に到着することが出来ました。
 次回は 7月29日(日)「志賀大仏を巡る道」 9:30 湖西線唐崎駅集合です。
涼しい木陰を歩きたいと思いますので是非ご参加ください。

   
          大津駅前広場に集合                         日ノ岡峠を歩くみなさん

   
           月心寺(走井茶屋の跡)                 山号:瑞米山 宗旨:臨済宗 創建1914年

  
              月心寺の庭                         走井の名水が湧き出る井戸
   
  茶店(今の月心寺)で休息している旅人「東海道五十三次」                車石

   
            木陰を見つけて昼食                    京の都めざして午後の部スタート


 
  
              髭茶屋追分                               蹴上浄水場

   
             蹴上発電所                           高山彦九郎の歌碑

 ビューポイント

月心寺

 京、大津宿への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいを見せていた追分の地で繁盛していた走井茶屋の跡。境内には今も枯れることなく走井の名水が湧き出ている。

 逢坂関を越えた山が迫る狭い土地で、街道を挟んで両側に家々がぎっしり建ち、谷間を埋めており、大津絵や大津算盤、縫い針などの土産物を売る店や茶店がひしめき、旅人と牛馬の往来が多い賑やかな場所に位置していた。

 歌川広重が描く「東海道五十三次」で、溢れ出る走井の水のそばの茶店で旅人が休息しているのが見られる。その茶店がこの月心寺である。

 精進料理が有名で、村瀬明道尼庵主が作るごま豆腐は天下一の評判となり、NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の青風寺のモデルとなった。

蹴上浄水場

 日本最初の急速濾過方式の浄水場として明治45年、京都市で初めて給水を開始。平成24年8月末には浄水施設の全面リニューアル工事が完成。場内に約4,600本あるつつじの名所としても有名。

髭茶屋追分

 山科盆地内にある東海道(三条街道)と大津街道(伏見街道)の分岐点(追分)である。山科追分とも呼ばれる。右が京へ行く東海道、左が伏見道。ここは右滋賀県(大津市)と京都府(京都市)を分ける府県境。

車石

 追分では、車馬の通行の便のため、「車石」が敷かれていた。撤去後の車石は擁壁に使われている。

 

 





    平日ファミリー 大津なぎさウオーク(たそがれウオーク)    記    2018年7月17日(火) 晴れ  参加者 139名 12km

  大津駅(集合)― 大津港~~ミシガン乗船(16:45発)~~におの浜観光港(17:10着)― サンシャインビーチ
ー 西武百貨店 ー 国道横断 ー 大津高校 ー 膳所駅(解散)


 
 
       たそがれウオークに参加のみなさん                    ミシガン乗船前
   
               昼のミシガン                            船内でくつろぐ
           
   船内から見える琵琶湖ホテルとアーカス                    におの浜港で下船


  
              湖岸を歩く                       大津港の世界最大級の花噴水とミシガン

 




 
 琵琶湖一周健康ウオーキング2018④  近江八幡駅~能登川駅   記 
2018年7月8日(日) 晴れ  参加者 223名 18km

 
 数日間続いた大雨警報はようやく終息を迎え、滋賀では台風一過のような青空が広がった。久しぶりに歩きに参加できることを心待ちにしていた方々が近江八幡駅に集った。

 テレビでは西日本豪雨の被害の拡大が報道されている。身につまされて心が痛む。本日の出発式では黙祷を捧げてからのスタートとなった。

歩くことが許される体調や状況に感謝して、広い空のもとを歩き出す。一面の青空とぽこぽこと浮かぶ雲。心地よい風が後押しをしてくれる。気温は高い。湿度も高い。歩き出せば汗が噴き出す。こまめに水分補給をするように促すが、今日のコースは日陰も少なく信号待ちで休むようなこともほぼない。

畑が水につかり、傷んだナスやカボチャにため息をつく。カエルとセミとヒバリが鳴き、トンボが飛んでいる。色とりどりのバラやひょろりとしたヒマワリ。天候の変化に戸惑っている自然。今までとは何かが違う、そんな自然からの訴えを感じる。琵琶湖のあがった水位に驚き、雨が降っていた最中ならどんな景色だったろうかと、思いを馳せてみる。

スイカの名産地はやっぱり暑かった。木陰で休憩すると、日なたがどれだけ暴力的なのかを感じてしまう。昼食会場でも、日陰に身を寄せる。

カヌーランドを出発したら、あとはゴールの能登川駅。駅前スーパーでは皆さま、様々なご褒美をご自身に用意されたことでしょう。

さて、次回7月17日(火)「大津なぎさウォーク」は「たそがれウォーク」です。大津駅16:00集合で、ミシガンクルーズを楽しんでいただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。

また、次回ビワイチ8月5日(日)は彦根駅ー長浜駅です。今回のゴール駅からのスタートではありませんのでお間違えのないよう、よろしくお願いいたします。


   
            日牟禮八幡宮                                白雲館

  
             旧八幡郵便局                            てんびんロード

   
          近江商人町並み                              西野湖水郷めぐり

  
             能登川水車                          伊庭坂下し祭り







 
景清道を訪ねて「安土から五個荘へ」   記  
2018年7月1日(日) 晴れ  参加者 76名 12km・16km


 
 JR安土駅集合。参加者は約76名。前日の大雨がウソのような晴天に恵まれ(ちょっと暑すぎ)いざ、出発!

 市街地を通り抜けて田んぼ道に出ると涼しい風が吹き抜け心地よい。景清道との最初の出会いは影清橋の道標。耕地整理のため川が付け替えられ、今はあぜ道の脇にひっそりと古(いにしえ)の面影を残している。

 早苗を両脇に見ながら田んぼ道を進むと、前方に「安土宗論」で有名な信長が建立した浄土宗の名刹、浄厳院の本堂と楼門の威風堂々たる姿を臨むことができた。安土セミナリヨで休憩の後は、世紀中頃に築かれた県下最大の前方後円墳である安土瓢箪山古墳を目指す。
 石寺で昼食。石寺は近江守護六角氏の居城観音寺城の城下町があった場所。
 午後から教林坊を経て中山道を歩き、湖東の三名水の一つに数えられる清水鼻へ。清水鼻より中山道から分かれて一路景清道を五個荘へ。石川地区に入ると景清道の真新しい道標が左手に建っている。金堂の大城神社脇の道は今も景清道の佇まいを色濃く残している道中である。
 金堂の街並みを通り抜け、熱中症で倒れる参加者もなく「ぷらざ三方よし」へ全員無事到着。半数の人はバスでJR能登川駅へ。残りの人は能登川駅まで歩行し終了。暑い中でしたが心地よい風の中、安土から五個荘までの景清道完歩!!

 *景清道とは

・平景清は眼を患っていたため、京の清水寺へ参詣に通った道

 ・中山道(当時は東山道)の間道として利用された。(陰京道)

 ・浄瑠璃、謡曲などで悲劇的な英雄として取り上げられる


      
            受付風景                             出発式

       
            景清道道標                       浄厳院での説明風景

       
       安土瓢箪山での説明風景                       観音寺林道

        
           中山道道標                             教林坊

       
         湖東の三名水・清水名水                     清水名水

       
            景清道道標                           景清道

       
          五個荘金堂町並み                       水路で泳ぐ鯉


   
    景清道                浄厳院門正面   


   
    観音正寺と城跡周辺             観音寺城本堂             


   
   観音正寺からの絶景
     瓢箪山古墳          


  
   石寺楽市    
 ぷらざ三方よし       


 ビューポイント

 浄厳院

  天正6年(1578年)織田信長によって建てられた浄土宗の寺。この地はもと佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)の跡地であり、近江八幡市多賀町にあった興隆寺もお堂(本堂重要文化財)を移し、栗太郡の金勝寺より明感という僧侶を招いて金勝山浄厳院とした。本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)は愛知郡二階堂にあった古寺より譲り受けたもので平安時代の作である。

 ここはまた「信長公記」に見られる法華宗と浄土宗との間で争われた「安土問答」の場としても有名である。本堂は昭和38年(1963年)に修理され、朱塗りの楼門は、平成5年(1993年)に解体修理されている。

平 景清と景清道

 平景清は、平氏の侍大将で、寿永4年(1185年)讃岐国屋島の戦いに、源氏の美尾屋十郎と戦い、美尾が逃げんとするや、鎧をつかんで引き絶ち、これを薙刀にかけて、「吾は景清なり、誰ぞ来たりて死を決せざる。」と叫び、敵を求めたという剛である。







 
第3回江若鉄道廃線跡ウオーク   記  
2018年6月24日(日) 晴れ  参加者 125名  12km

 近江舞子駅のご厚意により受付用のテーブルやいすも貸して頂き、地図以外の配布物もスムーズに配布出来とても助かりました。幸いにして梅雨空の中の好天日でもあり 125名もの参加者の皆様にも楽しいウオークとなりました。特に他協会・一般の方々で半数以上の69名を数えることが出来、中には湖西が初めての方も多く 少々路線跡から横道にそれましたが 四十八体石仏見学のおまけつきなど楽しむことも出来ました。
 
 廃線跡では現在は丁度、湖西道路の延伸工事が行われており 道の高架化やトンネル工事など混乱の状態で、北小松駅から近江高島への土手になっている路線跡は、6月中には重機でくずされてしまう由で、いわば今生最後のお別れをすることも出来ました。

 近江高島駅に到着する直前には 太陽の周りを丸く二重に虹が囲む不思議な現象も目にすることが出来ました。これも梅雨時特有の現象でしょうが珍しい驚きでした。

 次回は「景清道を訪ねて(安土から五個荘へ)」を7月1日(日)安土駅9時30分集合で実施します。
皆様多数の参加をお待ちしています。


  
   近江舞子駅 出発前のみなさん                  近江高島駅目指してスタートを切るみなさん   

  
         北小松駅前広場で                     廃線跡を歩くみなさん            

  
瑚国のパワースポット・白髭神社           四十八体石仏                  





 
平日ファミリー 大津なぎさウオーク(梅雨にもめげずに歩こう)   記  
2018年6月19日(火) 晴れ  参加者 82名  12km

    大津駅~旧東海道~義仲寺~法伝寺~相模川~長土塀~杉浦重剛邸~膳所城趾公園(昼食)
      ~大津市生涯学習センター~岩田神社~石山駅


 余震によるJR、私鉄のダイヤの乱れにより、大津駅10時15分出発となりました。この時期気になるお天気ですが、雨に降られず歩くことができました。旧東街道を通って、義仲寺、法伝寺を見て、杉浦重剛邸に立ち寄りました。
膳所城趾公園で昼食です。午後は、大津市生涯学習センターに入り、膳所城の模型を観察した後、旧道を通って岩田神社に寄り、石山駅にゴールしました。

 
       大津駅前広場で                      参加のみなさん             

 
          休憩                        膳所城趾公園で             

 
    義仲寺正面                          義仲寺             

 
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義仲寺  義仲と芭蕉、そして巴午御前も眠る墓所 

 
旧東海道に面した街道筋に義仲寺はあります。創建は不明。平家討伐の兵を挙げた木曽義仲が後白河上皇と対立し、最後は粟津原で源範頼・義経軍に討たれた時は数え31歳だったとされています。その後、重臣の今井兼平も自害して果てており、亡骸を葬ったのは側室の巴御前とされています。無名の尼と称して庵を結び、義仲の遺骸を葬ったとの伝承が残っています。
 元々特定の宗教に属していたわけではない義仲寺は、時代の移り変わりで荒廃することもあったとされていますが、戦国時代には、近江国守佐々木氏が“源家大将軍の御墳墓荒るるにまかすべからず”と再建に動きました。
 その後、真言宗東寺派総本山石山寺や天台宗寺門派園城寺に属し、一時はそれなりに栄えていた時期もある最中に、あの俳人松尾芭蕉がこの地を訪れました。木曽義仲と義仲寺を寵愛した芭蕉は、度々この地を訪れており、最後は、上方でその生涯を終えるものの、その遺言である『骸(から)は木曽塚に送るべし』に従って、義仲塚の右手に埋葬されて永遠の眠りについています。
 また、境内奥の翁堂の天井画には若沖が最晩年に手掛けたとされる『四季花卉(かき)図』(全15面)が復元されて公開されています。若沖が芭蕉とどんな繋がりがあったのかは定かではありませんが、全国に『ふたつ』しかない天井画がこの義仲寺に納められています。